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宿題提出 [お稽古・勉強]


大人になってからの勉強こそが、本当の勉強。
などと通信教育のスローガンにあります。
学校の先生が書いた本にも、そんな記述があるものです。
自画自賛の傾向が見てとれますが、気持ち悪い言葉でもない。
学ぶことは自分で自分を鼓舞したり、賞賛しないと続きません。

でも、少しだけ恥ずかしい気分が残ります。
サドマゾ気質が見て取れるのが、人の思考です。
自分にとっては、目標と課題に締め切があれば機動力になるのです。
なので、締切タイプの講座に申し込めば、努力するのです。


そんな回りクドイ説明通りに事がなりました。
提示された課題を済ませて、封書にまとめて投函したのです。
好きな事でも、ダラダラになるのが何時ものクセ。
締め切り設定されて、それに応える。
お金を支払っているのは自分です。
有料で苦しんで努力する。
サドマゾそのものです。


でも自分の基礎力が増せばよいのです。
才能の有無や作品の可否は、後から評価されればいい。
ひとまず好きな事に邁進するだけ。
人生を楽しんで、苦しむのですヨ。



 

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徒労の果てに [お稽古・勉強]


いろいろと気を回して疲れ果てるのが私の特徴みたい。
ですから思いの外疲労感で一杯になるのです。
週末はグッタリするのが、近年の習わし。

心理学を学んで以来、更に疲れるようになったみたい。
あれこれと勝手に心理分析までしてしまうからでしょう。
泰然自若する部分と、心労の果てに倒れることが二極化しています。

疲れ果てないように勉強した心理学。
懸念されたその部分は改善されたのに、新しい扉が開く。
新たな世界には、新たな問題点が待ち構えているのでしょう。

毎度、ながながと言い訳めいたことを書き連ねるのも習慣になりました。
永年の読者の方々には、何時もの事と御承知のことでしょうね。
何故このような事前解説を書いたのか。
もう察しの事と思います。


昨日は芝居の小物を探して回りました。
そして帰宅して針事を行ない、今日に備えた。
ところが今日は根底から覆すことが起きたのです。
小物は衣装に合わせて選びました。
なので衣装が変われば、変える品が出て来ます。
形状や使い勝手、装備の可不可に色合いとかもあります。
基台になる衣装が変われば、建屋は変わらざるを得ない。

遠い駐車場から、エッチラオッチラと荷物を持って会場へ。
苦労した事を自己賞賛したのもつかの間です。
今日からコレ。
この一言で、持ち物の殆どが無駄。

衣装担当にすれば、早く届けたい一心です。
こちらは今日はコレで決まるだろうと、決意の程が生じています。
悪意の無い葛藤が、意外な結末を生むのです。
その為に辛くキツイ落胆が生じる。
おかげさまで、見事に演技間違えました。
心の隅には小さな亀裂が生じていたのでしょう。
本人さえ知らない何かです。


さあ、今週から気を取り直して進みましょう。
本番はもう直ぐ、近い将来にやって来るのです。
今日の事は全て忘れることにします。

帰宅時に増えた荷物は、心なしか見た目より重かったです。


 
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三人称神視点 [お稽古・勉強]

小説書きの定番です。

何の事やらと思う人が多数でしょう。
簡単に言えば、テレビのドラマ撮影している、カメラマンの視線です。
こんな見方で小説は書かれないといけません。

偉そうな解説しましたが、小説書くマニュアル本に書かれいます。
基本中の基本。
これが出来ないと、どんな面白い物語が面白い付いたとしても、駄作になります。

何故こんな話を書くかと言えば、基本を忘れるのが人間ですから。
我も人なり、彼も人なり。
みんなでやらかしてしまう。

脚本書いて、小説書いてと、交互に創作していると、訳わからなくなりそう。
それに小説には、三人称交互視点やら、三人称単独視点などの演出方法だってあります。
一人称だってあるのです。

そして脚本には、戯曲と呼ばれる舞台台本もあります。
こちらには、表現方法として、一人称、二人称、三人称があります。
役者の練度を考えないと、メチャクチャな作品に仕上がってしまいます。

簡単なようで難しい創作活動。
最後は愚痴になってしまいました。

嫌なら辞めればいいのですが、辞められない。
それが芸術なんですね。


 
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舞台はコスプレ? [お稽古・勉強]

毎回感じることです。
演劇やミュージカルも、オペラとかコーラス。
能や歌舞伎、ダンスに至るまで共通しています。
衣装に袖を通すと気合いが入る。
他人に変身した気分になります。
間違い無い事実です。

あと、覆面すると別人になります。
だから女性は化粧するのですね。
変身願望が強い人ほど、メイクが濃くなるのです。
真実でしょう。


男性は幼い頃に、玩具の面を被って、ヒーローになる経験しています。
だから、変身に対する素養がある。
それをすっかり忘れています。
だから初舞台で、衣装に着替えて武者震いします。
衣装合わせで、女性より恍惚感が増しています。
滑稽なくらい、見ていると笑えるくらい。
微笑ましい光景です。


因みに自分は怖かったりします。
衣装合わせは舞台稽古の終盤です。
演じた方向性や、期待される内容が明確になるからです。
ある意味、背筋が凍ります。
演技の間違い探しをしなくちゃならない。
演劇は見た目が10割の世界だからですね。
恐ろしい瞬間。


だからコスプレ好きに理解を示せません。
真逆な世界だから。
触りだけで済ますことは、大切なんですね。



 
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早口になれる? [お稽古・勉強]


日頃コーラスの練習していて思います。
外国、アメリカ系の歌は早口な作品が多いですね。

欧州の作品は古典が殆どですから、ユッタリな歌詞。
讃美歌が中心ですので、反響の多い教会で早口歌は命取り。
聞き手は、歌い手が何いっているかワカラナクなるでしょう。

アメリカは歴史の少ない国なので、時代背景に則した文化の歌がありません。
ソロで歌う曲が多くて、早口作品ばかり。
ストレス社会なので、歌も気分を反映して言葉の羅列。

日本もストレス社会の仲間入りしたので、早口の歌が流行歌。
聞いていて気分が萎えるか、凶暴性が増すかするしかない。
戦争が無くなった分だけ、世の中に嫌な事が増えた。
平和が増した証拠です。
世の中はバランスを取るようにできています。


言葉を尽くして、言葉の銃弾爆撃しないと主張できないからでしょう。
気持ちの混乱が歌詞になって、作品化してしまう。
気持ちの整理して、描写力を上げてから歌詞を作って欲しいものです。
請求力ばかり上げても、何も得られないでしょうに。
そして何も気が付けないでしょう。
情報量に押し流されて、脳の発想力が低下するだけです。


それにしても、慣れて歌えなきゃコーラスになりません。
歌って構成が終了すれば、何か気が付くこともあるでしょう。
それなりに人気があるから、コーラスにアレンジされたのでしょうから。
何かしら原因があるから、結果的に海を渡って日本に届いたのでしょう。
少しだけ期待しつつ、唄い込んで、先を見たいものです。


 

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衣装合わせ [お稽古・勉強]


芝居系の話しが続きます。
私としては、話題として採り上げ易いからです。
ソーシャルとして、発言し難い事は避けるのも一因ですね。
本音に不平不満を載せると、排泄物にしかなりません。
実態を伴うものなら、やがて肥料にもなりますが、言葉は残るだけ。
無意味なだけですからね。


さて衣装です。
フルオーダで作られるので、採寸の後は仮縫いです。
待針の付いた服を着るのは、プチ拷問みたい。
針が恐くない人は少ないでしょうから、恐怖の対象です。
恐る恐る足を入れたり、袖を通したりします。
着込んで暫くしないと、気持ちが落ち着きませんね。

既成品と違い、着た瞬間に違和感が減るのが判るのです。
これこそ採寸した証でしょう。
記心地の良さは、自分の体に近い形状である証拠です。

それでも、服に現れた皺を見つめる職人の目。
仮縫いの糸を解きながら、待針を打ち直して行きます。
理想に沿う形になるよう、神経を働かせて、指を動かすのです。

でも体に合わせきれないようで、後日仮縫いし直すことになりました。
正中線やら肩の線を縫い直しする必要があるみたい。
背骨の矯正みたいな、大掛かりな手直しです。
自分の体が、平面対よりも立体的だからでしょう。
仕立て予想の外に、体形が構成されているようです。


舞台の為に既製品以上の出来上がりを求める。
服装としての機能は、既製品の服が上回ります。
あくまでも舞台衣装で、見た目の形と、ダンスに合わせる。
機能優先の作業着みたいなもの。


日常の服装としての機能はありません。
ポケットだって見せかけなのですから。
裏当の布も付かないのです。


潔さから生まれる着心地と高機動性。
善いモノができるでしょう。
舞台本番が楽しみです。



 

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段取り芝居 [お稽古・勉強]


今日は演劇の話しを書きます。
久しぶりな気がします。
気持ち的に避けていました。
芝居やる人なんて、ごく少数派なんですから。


さて、タイトルにあるような事柄です。
最近はアマチュアにまで浸透している忌諱です。
学校の先生とかも、芸術系で演劇を学ぶと、この潮流が生まれます。


ところが日本の歴史を振り返ると、すべてが段取り芝居です。
能や狂言、歌舞伎の潮流も、綿々と段取りから来る芝居を受け継いできました。
明治以降の西洋演劇が入って来ても、半分くらい段取劇ご残りました。
温泉の芝居小屋やホールで行う時代劇や、明治の名作物も段取りが重要。
現代だと、ヒーロー物は全て段取り劇です。
テレビドラマも撮影上の制約で、ほとんど段取り劇です。
CMなんて数センチの段取りを重要視します。

だから素人役者、モデル、お笑い芸人でも、テレビドラマになるのです。
段取り劇無くして、現代の映像創作はできません。


ところが西洋の現代芸術では、段取り劇を忌み嫌うのです。
脚本の人物像を描くのに、役者の心理背景や人生感が求められるのです。

なぜそんな動きになるのか。
なぜそんな言い方になるのか。
誰に向けて言葉を発しているのか。
だれが言葉を受け取っているのか。

これらが演技に重要な切っ掛けに必要なのです。
ですから段取り芝居で、役者の気持ちが乗らないのに動くな! となります。


自分は何でもヤル演劇人です。
段取り芝居でも、プロファイルを元にして動くのも気にしません。
演出家、監督、脚本家の好きに任せて動いても気にしません。
気持ちは役者の細部に宿り映しだされます。
芸術は、『神は細部に宿る』からです。
でも私は神様の登場を、気にしたりしません。
出て来るならお願いするし、出てこなくても自分でやります。
段取りが無くても考えるし、あれば従います。
汎用性こそが、自分の求める芸術活動の指針なのです。
頑固に頑なに、理論推進したりしません。

昔は、初心者時代は逆でしたけれど。
スタニスラフスキー論を学んだから、脚本を読み解く事に苦心しました。
今は段取りや、型も無下にしません。
提示されれば、使いこなす方法を考えます。



ブログで長々と演劇理論をぶち上げても仕方ありません。
気になる人は勉強してみて下さい。
思うに段取り芝居も、そうでなくても、行き着く先は一緒ではないか?
今はそのように考えるのです。

段取り芝居も捨てがたい。
客として観れば、良い芝居はどちらだって良いのです。
悪い演技は、どちらの手法でも駄目で下手。
それだけです。
脳内で良否判定して、識別目を鍛えるだけじゃ勿体ない。
良い物は良い。
悪いモノは悪い、
楽しいモノは楽しい。
面白くないモノはツマラナイ。
それだけですから。


 

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言い過ぎて [お稽古・勉強]

芝居でありそうな、アドリブ。
自分は最近、アドリブ無用論者に傾いています。

それは、自分で作品を書いている影響だと感じています。


昔のエライ作家さんの逸話に「句読点一つ言い間違うな」と主張していたそうな。
プロデューサーや監督も、平身低頭従ったそうです。
私は、これだとやり過ぎだと思います。
書き文字と、会話文は明らかに違います。
頭の良いインテリ程、理解していない事実です。
だからといって、脚本を役者が勝手に書き換えてはイケマセン。
アドリブが魅力的なことは、ジャズが証明していますが、表面的には自由だと見えていますが、本質的は違います。
決まりの中から逸脱しないそうです。
だから即興でも演奏者が合わせられるのだそうです。


けれども言葉は違います。
音楽は抽象的ですが、言葉は具体的です。
だからアドリブ入れると、作品世界が役者に移行してしまう。


詳細は何時か書く機会があるでしょう。
ではまた明日。

 
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倦怠期 [お稽古・勉強]

倦怠期。

中年夫婦に吹く隙間風ですね。


今日の話題は芝居の関連なのです。


私も相手も独身で、結婚未経験。
ですから夫婦役ですが、雰囲気が不足していたのです。

巷には夫婦である方々が溢れています。
そんな方々でも、他人と夫婦に見られ雰囲気を醸し出すのは至難の技。
プロだって出来ない人が殆どです。
芸能人だと、恋人や愛人がいても、結婚して家庭生活をしないから、引き出せない。
結婚していても、日常生活を送らないと、疑似夫婦や仮面夫婦にしか見えないでしょう。

ましてこちらは素人さんです。
技は現在進行系で学んでいる最中。
台詞を交わせても、嘘臭い雰囲気は消せません。


互いに問題点を理解しているみたいで、演出が見えて来た時点で、自然と動きとか話し合いするようになりました。
それが最近のこと。

ところが、演技のすり合わせで齟齬が多発。
それなりに経験があるから、話し合いすると逆にスレ違います。
あくまで他人だから、妥協点や演出的な着陸が見つからない。
演出家に駄目出しされない限り、無限に着陸点が存在するからです。


そんな二人の空気感を自分で掴んだら、タイトルの文字が浮かび上がったのです。
偽物だって倦怠感は生まれる。

これがキッカケになるよう、祈るばかり。


 
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歌練習して [お稽古・勉強]


芝居にコーラスと、充実した毎日を送る私です。

忙しく好きな事に走り廻って、疲れが溜まって来ました。



昔は楽しいことの疲労は別腹でしたが、今では仕事と同じ。
一括で疲労が蓄積して行きます。
だから温かな日が来ると、居眠りしちゃう。
コーラスの時だって、パート毎練習で待機していると、意識が遠退きます。
特に上手に歌えてくる頃になると、素晴らしい子守唄に聞こえてしまうのです。


クラッシクのコンサートだって、学生の発表会だと眠くなりません。
神経が逆撫でされる時があって、意識が演奏者に向けられているのです。
プロだって、豪快な演奏なときは眠くない。
調和を一番に考える交響曲だと、睡眠音楽になってしまいます。
浅い眠りのまま、最後まで聞いていた経験もありますから。
目覚めると、素晴らしく心地よい気分でいられました。
最高のリラクゼーションだったりします。


お年寄りが日向で居眠りするように、歌声や音楽の中でうたた寝をする。
歌は神代につながる行為ですから、極楽気分だと言い代えてもようでしょう。
練習しながら不謹慎化も知れませんが、心地よさはっ区別。
コーラスメンバーの実力を信じ、気持ちを預ける証拠でもある。
合唱は素晴らしいものなのです。




 

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