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段取り芝居 [お稽古・勉強]


今日は演劇の話しを書きます。
久しぶりな気がします。
気持ち的に避けていました。
芝居やる人なんて、ごく少数派なんですから。


さて、タイトルにあるような事柄です。
最近はアマチュアにまで浸透している忌諱です。
学校の先生とかも、芸術系で演劇を学ぶと、この潮流が生まれます。


ところが日本の歴史を振り返ると、すべてが段取り芝居です。
能や狂言、歌舞伎の潮流も、綿々と段取りから来る芝居を受け継いできました。
明治以降の西洋演劇が入って来ても、半分くらい段取劇ご残りました。
温泉の芝居小屋やホールで行う時代劇や、明治の名作物も段取りが重要。
現代だと、ヒーロー物は全て段取り劇です。
テレビドラマも撮影上の制約で、ほとんど段取り劇です。
CMなんて数センチの段取りを重要視します。

だから素人役者、モデル、お笑い芸人でも、テレビドラマになるのです。
段取り劇無くして、現代の映像創作はできません。


ところが西洋の現代芸術では、段取り劇を忌み嫌うのです。
脚本の人物像を描くのに、役者の心理背景や人生感が求められるのです。

なぜそんな動きになるのか。
なぜそんな言い方になるのか。
誰に向けて言葉を発しているのか。
だれが言葉を受け取っているのか。

これらが演技に重要な切っ掛けに必要なのです。
ですから段取り芝居で、役者の気持ちが乗らないのに動くな! となります。


自分は何でもヤル演劇人です。
段取り芝居でも、プロファイルを元にして動くのも気にしません。
演出家、監督、脚本家の好きに任せて動いても気にしません。
気持ちは役者の細部に宿り映しだされます。
芸術は、『神は細部に宿る』からです。
でも私は神様の登場を、気にしたりしません。
出て来るならお願いするし、出てこなくても自分でやります。
段取りが無くても考えるし、あれば従います。
汎用性こそが、自分の求める芸術活動の指針なのです。
頑固に頑なに、理論推進したりしません。

昔は、初心者時代は逆でしたけれど。
スタニスラフスキー論を学んだから、脚本を読み解く事に苦心しました。
今は段取りや、型も無下にしません。
提示されれば、使いこなす方法を考えます。



ブログで長々と演劇理論をぶち上げても仕方ありません。
気になる人は勉強してみて下さい。
思うに段取り芝居も、そうでなくても、行き着く先は一緒ではないか?
今はそのように考えるのです。

段取り芝居も捨てがたい。
客として観れば、良い芝居はどちらだって良いのです。
悪い演技は、どちらの手法でも駄目で下手。
それだけです。
脳内で良否判定して、識別目を鍛えるだけじゃ勿体ない。
良い物は良い。
悪いモノは悪い、
楽しいモノは楽しい。
面白くないモノはツマラナイ。
それだけですから。


 

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