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勉強会のチラシ [お稽古・勉強]


 
この時季は番組改変の季節です。
年度末ですから、色々と番組が終わってしまうもの。
 
基本的にテレビを見ない方ですが、見ている番組は毎週見ている。
実際には録画視聴が多いから、毎週見ていると表現するには語弊があります。
毎週録画しているですね。
 
そうして番組を週末になってから、一気に閲覧するのです。
疲れますが記憶と心に留めたりできます。
 
見てる番組は教養番組ばかりですから、週末に学習しているようなもの。
生涯学習の一つですね。
創作活動している足しにはなり難い、一本道の延長でない知識です。
 
それでも味付けや、ふり掛け、トッピングの一つにはなります。
専門性があると思考の基準になるから、個性がブレ難いです。
作品に作者の癖が現れて、自分らしさの延長になります。
 
そんな専門性も、テレビ番組が終わると学習の機会が減ります。
あとは自分で書籍を見つけたり、学習会や講演会を探して行くしかありません。
 
公民館やホール、図書館に行って、チラシを見つけたりネット検索をするのです。
エンタメ系だと、ネットで宣伝を見つけたりできますが、学習は自分の努力で見つける。
宣伝費用が勉強会を高価にするので、口コミや近隣のチラシ配りで精一杯になるのです。
 
一番は勉強仲間の口コミです。
最強の検索ツールですね。
特に自治体系の公益団体主催だと、地域を跨ぐとチラシや公示を見る機会がありあません。
違う地域の住民から口コミは、とても力強く効果が高いですね。
 
ありがたく教えて貰えば訪ねて行きます。
常日頃のアンテナ張りが重要です。
 




 


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大泣きの歌は? [お稽古・勉強]


 
演技の稽古で教えて貰ったのが、笑いや泣きの技です。
想い出を利用し、笑うシーンで笑い、泣くシーンで泣く。
一種のトラウマ効果です。
 
もちろん、脚本が良ければシーンに埋没して行けるもの。
ご都合主義な構成だと、笑い泣きが上手に行きません。
自然な喜怒哀楽の表現は、脚本次第です。
 
シーンを使う場所や、小物類でも喜怒哀楽のスッチが入ります。
 
諸条件の肝は『人・物(金)・時・場所』です。
商売と一緒ですね。
 
演技の技も、プロなら商売のタネです。
アマなら芸術活動の元です。
 
『人』は、相手方や気持ちを向ける人々。
『物』は、気持ちを動かす思いの品。
『時』は、時代や世相、時間帯、生れや育ち。
『場所』は、国や地域、思い出の地や仲間関係、成長地。
それらを使って、気持ちを動かしたり、動かされたりです。
 
稽古や訓練を通じて、心が動き易い思い出を探し出して置きます。
幾つか用意して、場面毎に使い回し趣向に合わせるのです。
 
この手法で喜怒哀楽だけでなく、愛や悲、溜、秘を表現します。
注意することは、当人が興に入っても他者に伝わるかは別です。
役者が上手過ぎると、悲しいシーンでも当人は楽しくてもOK。
形や型で表現して、受け手が受容できたら何でも良いのです。
ここまで来れば、天才ですけれどね。
 
普段の自分を見直して、何が出来て出来ないか見極めるのです。
これが不断の努力な訳です。
 
今は演技を忘れて、創作に気持ちを向けています。
日々感じる事柄を細かいエピソードに使えるか、模擬推測しています。
ドラマには多くの切っ掛けが必要です。
この場合にはどの様な結末になるか、試してみる必要があります。
 
日々の努力が、創作の引き出しを増やして行けます。
資料に留めると、記憶に昇らないから死んだ資料になるのです。
即効性のある記憶に留めるには、出来事を連鎖させる必要があります。
一度覚えた歌が、時間経過しても歌えるのと一緒。
記憶の特徴です。
これもトラウマ効果の一つです。
 



 

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新習慣に衣替え [お稽古・勉強]



創作活動の行動は、蟻地獄に落ちるようなモノです。
最近の人は、蟻地獄を見た事が無いでしょう。
でも、そんな印象があるのです。

尽くせど、尽くせど、限りないからです。

現実の世界では、身の丈を弁えれば終わりが見えます。
実力を知れば、限界点が見えるのです。
砂漠に水を灌ぐのを止めて、土に種を植えて散水するのです。
正しい育て方を知るだけです。

駄目な事に時間と労力に費用を掛けないで済みます。
それが教育学習の基本です。
努力は報われる事を、最善の選定条件にするべきです。

そんなことで、新習慣を取り入れて、旧習慣を破棄します。
窓口の広そうな方に進んで、目が出ることを最優先にしたい。
そう思った年末の事です。
行動は先月から行っています。
 
最優先するのは、楽しく生活して行くこと。
楽しそうな場所や集団に入る事ではありません。
個として楽しめるかどうかを考えるのです。
「楽しそう=楽しい」は幻でした。

自分が心の底からしたい事が楽しい事、楽しい時間です。
集中して行なえて、無限の時間を飛び越えて行ける感覚。
それが楽しさの証明なのですね。
苦痛に感じたら、思い込みです。
 
途中で止めても心が充実していること。
それが思い込みから出られた証拠です。
どうしても他人や世間の価値観に洗脳されてしまう。
まやかしに惑わされない。

他人に褒められても、それが好きな事ではありません。
「できる事≠したい事」ではないのです。
「出来なくても、やりたい事」が『欲しい事柄』なのでした。

大切な真理に気が付いたのでした。
 




 

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書き取り練習 [お稽古・勉強]



『物事を習うのには真似から入ると良い』
今日の昼にテレビを見ていて、プロが語った練習法です。
成る程と思いました。

同じく先週に、テレビの番組宣伝でのシーン。
若い女性がロクロを回してのたまう。
『やってられん!。わて機械やあらへん』
師匠曰く『千二百年早いわ!』

成る程と思ったモノです。
徹底的に伝統を模倣させる。
型に嵌めるですね。

近年は西洋文明が入って、個性個性と呪文を唱えます。
これは天才だけに許された特権で、凡人に使えない手法です。
勘違いして個性を伸ばそうとしています。
中国の伝統的な逸話に在りました。
『麦が早く成長するように手で引き伸ばし枯れる』逸話です。

個性とは成長を見守ることで、手出しして指導する事では無い。
徹底的に模倣させて型に嵌めて、はみ出したモノを型破りという。
矯正しても矯正しても伸びるのが才能で、才能が個性。
個性を前提にすると、型に充填し損ねて型無しになるのですね。
 
そうした意味で、好きな事は型に嵌めてみて、余剰、過剰、不足、欠損を確認するのです。
型こそが計りで測り、物差しなのですね。

模倣して作って、間違いや過不足や勘違い思い間違いを晒す。
自分の目が養われるまでは師匠が正しい目です。
成長して型一杯になったら、自分の目で判断する時が来たと理解する。
それまでは不足を補う行動が、凡人を一人前にする最善の方法。
そのように理解したのです。

反復行動は面白くありませんが、これこそが努力です。
努力する才能が辛抱で、天分の才は辛抱を我慢と思わせない力。
凡人には全てが足りません。
教えて貰っても我慢も辛抱もままならない。

私の様な才能無しの役立たずは、努力の為の努力を目指してしまう。
進む先が見えずに、目が眩んでいるようなものです。
能率よく無駄を減らして、最小限の努力で成果を出したい。
そう思う毎日なのです。
 




 
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界面活性剤なら? [お稽古・勉強]



界面活性剤。
洗剤の事だと記憶しています。
間違いかもしれないし、正しいかも知れません。
何らかの前提条件とかがあるのかも?
 
こんな話を何故書いているのかと申します。

昨年から病院で謎の事故事件がありました。
界面活性剤を点滴に注入されて患者が亡くなった事件です。
迷宮入りしそうなお話しです。
証拠も現場も容疑者も推定し易いのに犯人が逮捕できない。

木を隠すなら森の中と申します。
容疑者が多過ぎると的が絞れない。
誰にでも矢は当たる状況ですが、当てたい人に当たらない。
世の中の構造は、こんなモノなんだと思う訳です。
 
で、日常生活に潜む恐怖があります。
洗剤は良い薬物なのか毒物なのか?

その効果を確認するべく噴霧器に千倍位に薄めた食器洗剤を入れて見ました。
網戸に群がる夏夜の虫に噴霧してみたのです。

効果があったのは甲殻虫です。
蝶蛾の類には効果が薄いです。
同じ甲殻類でも微小昆虫には効果ありません。
藪蚊には効果ありましたね。
蠅は速過ぎて噴霧できたのか不明で、元気です。
市販の噴霧薬でも蠅が死んだ光景は見たこと在りません。
ゴキブリの類は即時姿が消失し結果がわかりません。
何とかの猫と同じで、同時並行宇宙が増えるだけです。

大型の甲殻類は死にません、超動きが散漫なだけ。
足だけが一日経過しても動き続けています。
私の罪悪感が増すだけですね。

鳥も中大型の甲殻類を食べたりしません。
烏サイズの鳥でないと口に入らないからでしょう。
窓辺で虫が絶命前の緩慢な動きを見せています。

もしかするとアブラムシにも効果が高いでしょうか?
アブラムシには牛乳パックに残った成分を10Lの水で薄めて効果があるそうです。
牛乳の油脂でアブラムシが硬直して死に至るとか。
でも蟻が群がっているとアブラムシを掃除して効果無いとか。



最近は中間小説の勉強で毒物に興味が向かっています。
日常生活にある生活備品が実は人を殺す道具になるのだとか。

帝銀事件とヒ素ミルク事故で、ヒ素が有名薬になりました。
水俣公害で水銀が有名になった。
軍人の自決薬で青酸化合物が有名になった。
モンゴルの狩猟道具と忍者で、トリカブトが時代劇の中心扱い毒になる。
クレオパトラの自決薬でコブラの毒。
忍者の暗殺蛇はマムシが定番です。
沖縄方面ならハブですね。
海物ならウミヘビやカサゴでしょうし、超有名はフグ毒です。
海の生物は毒持ちが大変豊富に存在します。

思うに昔ならいざ知らず、手に入り難いモノばかりです。
現代サスペンスには扱い難いものばかりです。

でも漂白剤の塩素や洗剤の活性剤も毒物として使えるそうです。
何気なく簡単に人を殺せてしまう。
許可の要らない雑草駆除剤でも人殺しが可能だとか。
巷にある雑草や花木ににも強力な毒持ちがあるそうです。
山菜の事故もこうした一例だそうです。
キノコだけでは無いそうですからね。

つまりサスペンスの小道具は思いの外、選択肢が多いのですね。
即効性や遅効性も期待できるのですね。
偽装用なら一酸化炭素や過剰酸素も猛毒です。
混ぜるな危険で、硫化水素も発生できたりします。

その他に死体処理にも日常品を使うと処理効果が早くなるとか。
創意工夫した物語が、殺意のほう助になっては堪りませんね。
中間小説とはそんなものです。
意外性と着眼点で平凡な作品が面白く感じたりできます。
科学的な知見がドラマを膨らませてくれるのです。


でもリアルに死に損ねた甲殻類を見ていると複雑な気分になります。
虫の気孔へ洗剤が蓋をして酸欠なのですね。
それと身体の継ぎ目から浸透圧で洗剤が染み込んでしまった。
生殺しです。

昨今の田舎は烏も減って小鳥ばかりです。
拾い食いしてくれない。
野良犬も野良猫も居ません。
微妙に生態系が破綻しているのですから。
 




 

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迷宮の道 [お稽古・勉強]



思考が絡まってスッキリ出てきません。
アイデアや構想が頭に渦巻いているからです。
簡単に紐解くようにでてきません。

アイデアや構想がたくさんあっても駄目なのです。
そのシーンにふさわしい展開は数個です。
物語は終着点に向かって決まっています。
途中の何処を通過しても構いません。
ですがふさわしい中継点は数カ所です。
無限の停車場が存在しても選ぶ点は決まっています。

この事実を掴んだのは最近のことです。
何処を通過しても良いけれど正解は限定的です。
宝探しのようなものです。
宝は地表に現れているのです。
ですが全部手に取ってはならない。

毎回苦労して作品を仕上げると新しい事実を知ります。
引き返して手直しはできません。
たいていが時間切れなのですから。

愚作から習作へ。
そして秀作から優作へと成長する。
途中で停滞するのはいつものこと。

完成原稿はテーマもモチーフが同じでも優良可です。
だからこそ似たような物語なのに感動が違います。
人類が何万年も語り継いだのに新作が生まれます。
優良可が存在して時代性や文化も変化します。
人の価値観やメディアの多様性が生じます。
終わらない物語が現実世界に存在するのです。

作家は無限へ取り付く苔の存在なのでしょう。
脳内整理に努めなくちゃ。
 




 


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ヒステリーの歌なのかな? [お稽古・勉強]


昔にメンタルヘルスの勉強会で知りました。
時代を越えて歌い継がれる流行歌の特徴です。
大抵がノイローゼの歌詞が付いているみたい。
実例を挙げて教えてくれたのでした。

不条理や理不尽の先の結果論的な歌です。
これが特徴でしょう。


そんなことで、ヒステリーの歌もあるわけです。
年々、世の中がキレやすい時代に移行していますからね。
特徴的なのが、アングラ系のマニアックな歌手の歌です。
女性や男性も高音に響く歌声で、低温の魅力が消えているのも特徴でしょう。
落ち着いて聞いていられない。
平常心の人だと、耳触りが悪く聞いて要られない。
金切り声で言葉が潰れて判読し難い。
これらの特徴が見られます。

古典的な一番人気な歌の傾向は、不倫物ですね。
色恋沙汰が倫理や宗教観を壊す訳です。
よくよく歌詞をよんだりすると、問題提起したくなる。
時代や世相を越えて、恋愛関係は人間の性を浮き出しますね。

これらが、病んだ視聴者の共感を呼ぶのです。
特に病気未満、手前の人に効果が高い傾向が見られます。
それで複合要因と共に、名曲へと昇華され呼ばれるみたい。


歌ですと曲が付いていて、視聴者は内容を深く考察しません。
共感できるかどうかだけで、それ以外の思考が排除されます。
明治の詩集だと曲が届けられないので、普遍的な文字構成になっていました。
今は音楽となって、歌詞が簡単に誰にでも届く時代です。




時代と共に直接的な表現になって、暗喩や比喩が裂けられます。
作る方も、使う方も、聞く方も思考能力が欠如しているのです。
読み直して分析すると、思いの外違和感を感じないのですね。
この手順を踏むと、ヒット曲に距離を置きたくなる。
もう歌いたくない気分になるのです。
恐いですね、心理分析の業は。

そんなことで、最近は童謡や唱歌ばかり歌っています。
これも良く分析すると、非常に怖かったりします。
20世紀は世界戦争の時代でした。


今、21世紀は内戦と、紛争・テロの時代ですから。
次の歌は、格差社会を歌うのかな?
 





 

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歌声が響く場所は [お稽古・勉強]


人間に残された最後の希望は、歌だそうです。
何かの本で読んだ気がします。
耳が聞こえなくても、振動でリズムは取れます。
言葉が喋れなくても、うめき声でも、叩くことでも音が出せます。
一度歌声を聴いたら、脳内で自己完結できるのも歌です。
言葉がわからならなくても、ハミングという手法があります。
国境も星も越えて行ける存在らしいですね。
 
そんな素敵な音楽ですが、誰でもできる分だけ奥が深い。
追及する程に、奥が見えてしい終着点が見えないものです。
芸術は単純な物ほど、広がりも深さもあるようです。
清書にある、狭き門から行けは、芸術芸能に通じているようです。
 
前置きが長いのは言い訳なのでした。

この十年以上、真面目に取組んできたつもりです。
歌も懸命に努力したつもりでした。
しかし40の手習いでしたね。
十年頑張ると五十の手習いです。
成果が出ることはありません。
日々劣化する身体感覚を、辛うじて支えるのが精いっぱい。
躍進など夢の中の夢です。

でも頑張って来た事実だけが残っています。
『努力が裏切らない』のは、こういった過程だけです。
『努力は期待を叶えないことが多い』ってことです。
芝居もダンスも、歌も同じ。
年寄りの冷や水で終わるだけ。

まあ度胸という経験談や、失敗談は山積になりました。
それらも何時か、創作活動に活かされて消化・昇華される予定です。
歌声が響く場所は、稽古場と本番以外に、作品内にもあるみたい。
練習曲は脳味噌内で、勝手にリフレインしています。
お得で便利なモノです。

聞くよりは歌う物。
それが歌ですね。
 



 

 
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脳味噌が弾けそうで [お稽古・勉強]


使い古しの充電池のようです。

充電すると直ぐに満パンになりますが、直ぐに放電してしまう。
それが中高年の特徴ですね。

休日に勉強しても、来週にすっかり忘れています。
勉強していた事実を覚えているだけです。

雨の休日前後になりました。
自宅で引き篭もりするに最適です。
思いの勉強をして一日が過ぎて行きます。
幸福な時間が流れて行きます。

しかし記憶も時と一緒に流れて消えるのです。
何を覚えていたのか、思い出すに困難です。
そもそも覚えていたのかさえ怪しい。
忘れるのでなくて、覚えていない?

悲しい現実があります。

でも来週同じ本を読めば、新鮮な気持ちになるのは間違いない。
読んだ事実が幻に思える訳です。
夢でも見ていたのかと、自分にツッコメますからね。
二度も三度もお得気分に浸れます。

こうしてブログに書き残して、勉強の経過を残して置きましょう。
勉強の成果でないところがミソです。

さて来週も頑張ろう。
来週は別の講座があるんですけれどね。

今のところ、脳味噌がはち切れそうな気分です。
たくさん収穫した証拠です。
知恵熱が出ませんように。




 


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一つで、二つができて [お稽古・勉強]


一つの素案から、幾つもの作品が生まれます。
素案の事を、モチーフとかテーマとか呼ぶべきか理解できません。
何となくでしかないからです。
切っ掛けだと説明できる程度です。


少し前に書いた人の組み合わせを、ほんの少し操作しました。
そこから起案が浮かんで、物語になったのです。
その物語を尺で換算して、アレンジしたら別物に仕上がりました。
型枠が決まると、同じ品が別の商品になるのです。

ケーキやクッキーの基材みたいなものですね。
小麦粉に水を入れて練ったら、うどんになったりパスタになったり。
ピザの生地や、餃子やワンタン……。
実際の材料は微妙に違っているけれど、根本が同じ。
同じだけれど、行く先は違って皆よいモノなのですね。

今週は、そんなことやりながら感しいっていたのです。
物語も結局は料理みたいなモノ。
作れば作るだけ、レパートリーは広がります。
アレンジも増えるし、見た目もかけ離れて行くのです。

そんなに多くの事を、ガツガツと学ばなくても、先の広がりが期待できます。
恐れないでもいい訳ですね。
進むほどに広がって行けるのです。
立ち止まって考えて、動けないよりは、見切を付けて歩んだ方が良いのです。


話のネタを考えて苦悩するよりも、アレンジで膨らませた方が仕上がり良好です。
手元にあるモノで、作品を作ればいいのです。
知らないことに、無理に挑戦しなくていい。
挑む時には、きっと既知になっていることでしょう。
来るべき時に向き合って、取り扱えばいいのですね。


何とはなしに、少し理解して自信が付いた私でした。
これも継続して練習しなければ、気が付きませんでした。
やってみる方が、吉なのですね~。




 

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