裏の裏は表ではなかった? [コラム・ぼやき]
タイトルの例えは比喩なので真理であっても、真実として取り扱い切れないみたいです。
紙の裏表だけなら、裏の裏は巡って来た表です。
でも気持ちならば目が回ってしまい、裏の裏は何処へやらです。
政治の世界で「忖度」「驕り」が蔓延すると、裏の裏は裏であり続けます。
世の中の構造はメビュウスの輪に収れんされて、裏も表もありません。
球体のような表も裏も特定できない表面体になるのでしょう。
体積を構成する構造物は、汚れた廃棄物の塊りでしょう。
しかも新円でなくて歪な形をしていると思えます。
光の当たり具合で定まらぬ表情を映し出します。
3月は分れの季節です。
汚い物に縋る生き方からも卒業したいものです。
綺麗な光に向い、お天道さまに恥じない生き方です。