霧降雨になってる [コラム・ぼやき]
雨降れと願っていたら、今日は霧雨です。
これで花粉の飛散量が減るでしょう。
このまま明日も雨で構いません。
先日にソメイヨシノが開いて、カワズサクラが散りました。
これにて桜も入れ替えです。
でもソメイヨシノが散る始める頃に、ヤナギサクラが咲き始めます。
強風に雨だと花びらも直ぐに抜け落ちるでしょう。
こうして霧状に降れば花が長持ちするかも?
花見は眺めるのが好きなので、宴会の理由が無くても平気です。
一番欲しい効能は、花粉症が軽くなることだけですから。
書くことに関して [コラム・ぼやき]
年度末なので今年度の反省をしたいと思います。
でも反省材料を調査しても、反省しない私です。
これを脳の癖だと思いこんでいたのが、平成の総括です。
脳の癖ではなくて『目的・動機』が無いのです。
小説や脚本に重要な『動機』です。
現実の犯罪でも『動機』が無いと起訴しにくいです。
平常心の強い人ですと『目的』の方が重要です。
「決まりですから」とか「規則なので」と言うのが好きな人がいます。
「そんなの常識」だと、どこにも書かれていない文言で他人を責める人も同じです。
『目的』が明確だと迷わないのです。
ところが自分は『目的・動機』が曖昧で脆弱なのです。
だから行動に移せないし、命令・指示・指導に従えないのです。
組織人には成り得ないはみ出し者ですが、犯罪集団員にも入れない弱気者です。
犯罪に手を染めるにも、行動力が求められます。
せいぜいブログを書くのが精一杯なのです。
これが分かっただけでも、反省の成果は大きい。
でも改善点は見つからないし、見つける気にもなれない。
ああ、弱気者!
晴れても乾燥機を使い [コラム・ぼやき]
台風並みの風が今日も吹いています。
しかも朝から強風で、洗濯物が干せません。
大抵の強風なら外干しするのですが、風圧でなぎ倒される予想が立ちます。
危険だし、花粉も物凄い量が飛び交っていそうです。
そこで機械乾燥をしに、コインランドリーへ。
でも利用客はいませんでした。
家中で部屋干しをしているのでしょう。
晴れているのに、ランドリー乾燥なんて勿体無い。
そのように考えて間違いでは無いでしょう。
けれど仕上がりは余暇ったです。
晴れているから機械乾燥機も短時間で終了します。
乾かし過ぎないように、柔らかいくらいで止めておきます。
こうした非日常行為も満更でもありません。
気持良い肌触りの洗濯物に出会えました。
風の強い日は、機械乾燥も悪くないが結論です。
大風の一日 [コラム・ぼやき]
平成も来月いっぱいで終了ですね。
昭和は激動の63年でしたが、平成も同じでした。
平成は災害の元号となりました。
自分の人生も、平成期間に上がったり下がったり転んだり。
思い出深い30年ですが、満足気な雰囲気もあります。
印象に濃い出来事は過ぎてしまえば写真のようです。
こうしたブログも平成になって生じた機構です。
それなので、ミラーブログは今月で更新終了します。
管理するのは一本限りにします。
個人的なSNSも整理したいです。
ITを上手に有効活用できませんでした。
やはりメディアは戦略と企画がないと続きません。
新しい年号に登場する何かに期待したいです。
サイレンの音が聞こえる [コラム・ぼやき]
サイレンの音は警戒感を喚起する音です。
音は単なる耳に一番聞こえやすい音階なのです。
文化が違えば警報音には聞こえない質のものです。
ですが日常生活で警報音として認知されてからは、心に刺さる音になりました。
東日本大震災以来、警報音がとても重く聞こえるようになったのです。
無意識にまで届く音になりました。
今日は春分の日で彼岸です。
あの世とこの世が近づく日です。
彼岸と此岸です。
今朝は夜明け前から何度もサイレン音が聞こえ目が覚めました。
特に消防系の音でなく、警察系のサイレン音です。
日常が非日常に変わった知らせでしょう。
休日は事件事故の多い日です。
出掛ける時は周囲に注意しましょう。
ご安全に!
見た目が100%だからこそ [コラム・ぼやき]
人が美しいモノを求めるのは自然なことです。
美そのもに価値があるのです。
有用なのかそうでないか、関係性は希薄です。
その美しさにどのような徳があるか不明です。
美しいと得なのはわかります。
皆が欲しがると優越感を得て、商売が楽になるからです。
どうして皆が欲しがるのでしょう。
自分も美しいモノが欲しいです。
その理由がわかりません。
『何故か分からなくても、欲しい事実だけ分かる』
何とも宙ぶらりんな気分です。
日々が勉強なのかな? [コラム・ぼやき]
どうしても勉強と学校を直結してしまうものです。
学校で学ぶことは授業であって一方的です。
でも経験から学ぶことは、取捨できるから教育ではありません。
メンタルヘルスの勉強をするようになり、上記の考え頭をよぎります。
でも経験から学ぶ場合は、成功例よりも失敗例です。
辛い経験こそが学びなのか?
これは避けて通りたい学習法です。
でも他人に価値観を押し付けられる、学校も苦痛です。
食いたくない品を口に押し込まれている感じを抱くばかり。
『食べたい物を美味しく頂く』
これが一番の学びでしょう。
でも身に付かない事実を知っているのも私なのです。
痛み苦しみは程々で良く避けたいです。
裏の裏は表ではなかった? [コラム・ぼやき]
タイトルの例えは比喩なので真理であっても、真実として取り扱い切れないみたいです。
紙の裏表だけなら、裏の裏は巡って来た表です。
でも気持ちならば目が回ってしまい、裏の裏は何処へやらです。
政治の世界で「忖度」「驕り」が蔓延すると、裏の裏は裏であり続けます。
世の中の構造はメビュウスの輪に収れんされて、裏も表もありません。
球体のような表も裏も特定できない表面体になるのでしょう。
体積を構成する構造物は、汚れた廃棄物の塊りでしょう。
しかも新円でなくて歪な形をしていると思えます。
光の当たり具合で定まらぬ表情を映し出します。
3月は分れの季節です。
汚い物に縋る生き方からも卒業したいものです。
綺麗な光に向い、お天道さまに恥じない生き方です。
被害構想 [コラム・ぼやき]
被害構想は誤字で、被害妄想でしょと言われそうです。
事実、妄想でなく構想するのが創作者の決まりです。
登場人物を如何に困らせ惑うのが、作家の能力なのです。
そして取って付けたような展開でなく、撒いた伏線に従い困難を創生できるか。
いくら空想の人物世界観でも、酷い事するよと考えるか否かが、才能の可否なのです。
ちなみに自分には才能が一切無いと自覚できてしまいました。
例え架空の人物でも『酷過ぎないか?』と考えてしまうのです。
その理由も、最近判明した次第です。
『仮想現実界でも、登場人物は自分を投影しているのです。
神が自分に似せて人を作ったと同様に、自分も架空人物を似せて作るのです。
こうした入れ子構造を『構造主義』と呼ぶのだそうです。
とても怖い事実ですね。
寒いと気持ちも沈みます [コラム・ぼやき]
春が早いのではとヤキモキしてきましたが、休みから雨続きで寒いです。
こうなるとウキウキ気分も、元の冬気分に戻ってしましいます。
落ち込む程ではありませんが、浮ついた気分は皆無だと思えます。
替わりに首をすぼめて、震えている姿が似合う気分だなと思うのです。
季節の好みは冬を選ぶ人間です。
厳しい寒さで身が引き締まる思いが、気持ちを固めるようです。
でも昨年から循環器の病で通院するようになり、今では寒さが恐いですね。
寒いというだけで辛く厳しいのですから、堪える体力が必要です。
もう耐えきれないなと思う様になり、寒いと気持ちが沈みがち。
春が待ち遠しかった理由を理解できたのです。
今は丁度良い季節を待っている私です。
一気に健康回復を図りたいですから。