こんなんじゃないけれど [コラム・ぼやき]
先日にテレビのドキュメント番組を見ていて思ったのです。
人が成功するときは、自分の望んだ結果ではないのだと。
自分で臨んで結果が伴う人種は、唯一がスポーツ選手だけですね。
文藝は特に願った作品で絶望をして、頼まれた軽い仕事で名声を得易いようです。
他人の欲する物を与えれば賞賛されます。
自分の物を探そうとすると、逃げて手に入らない。
仏教で説かれる宇宙の心理にある通りですね。
合いたい人には、合えない。
合いたくない人に、出会う。
欲しいモノは、手に入らない。
持っている物は、奪われる。
これが4つの苦しみです。
ドキュメントで成功者が良く言うのが、他人様の為にです。
清貧の思想や儒教的に判別して気嫌いしそうな言葉ですが、真の意味は違うようです。
相手を思ってよりも、自分を捨てた時に成功が舞い込む。
つまり手に握っていた希望を捨てると、開いた手に何かが掴めるのです。
これを無私と呼ぶと、説教臭くなります。
欲を捨てると聞けば、道徳かと聞きたくなくなるのです。
これを手放したら儲かります、と言われると興味が湧きます。
手放す事に違いが無くても、損だけが想像できるより、儲けの方が魅力的です。
社会心理学の実験で、貰うよりも手放す方が3割も心に響くとか。
それくらい人間は損に敏感なのですね。
そのように理解して多く手放しましたが、得られたものは少ないです。
パンドラの箱のように手の平に残ったのは、希望だけかもしれない?
チョット悲しいのですが、肩の荷が下りた実感はあります。
手荷物が多かったと再確認できました。
道に落ちていた物を、何でも拾って歩いた布袋様のズタ袋。
布袋様が行き倒れて亡くなった後、袋の中身を見たら札が一枚だけ残っていたそうです。
得てして拾い集めたところで、何も残らないと教えてくれた気がしています。
自分の書きたい作品を書いているうちは、世に出ないのだと考える。
この自己否定感は、ホラーよりも怖い予測なのです。
自分はその苦痛に耐えられるのやら?
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