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もったいない言葉 [雑多なこと]


 
得意の怖い系な話題です。
こうした雑ネタを多く仕入れておかないと、作品に幅が出ません。
何事でも下世話で雑談話に使える話題は、書き物語も雑談にも有効ですね。
 
勿体ないと書いてモッタイナイと読みます。
一時期ですがノーベル賞関連で、日本のモッタイナイが注目されました。
あまり最近は、聞かれなくなった言葉です。
 
物の本に寄れば、日本人の根底にモッタイナイ精神があるとか。
これが恐い話系につながるのでありましょうや?
それが言葉の韻を踏むのを好む国民性にあります。
最近ではダジャレや親爺ギャクにつながる伝統芸的な、身体遺伝子や文化遺伝子にまつわる話題なのです。
 
韻を踏む遊びは、高貴なる方々に好まれて和歌へと昇華しました。
江戸時代には俳句になって、庶民の知識層にまで浸透したのです。
江戸後期には季語を用いない川柳になって、世相を風刺する道具にもなりました。
 
問題は中世期の日本です。
大陸から仏教と供に、密教と道教、儒教や朱子学に陽明学も入りました。
呪いの一種は、伝統的に日本に根付いた思想・宗教です。
学実的な体系で陰陽道とか占星術も入ると、知識欲が刺激されて身近な存在になったみたいです。
 
そこでモッタイナイです。
これは裏の意味で、持っていると持っていないの混在させた言葉であるとされるそうです。
持っているけれど持っていない。
持っていないが持っている。
ドチラでも無く、ドチラでもあり、混ざっていなくて交わっている。
曖昧模糊な言葉らしいのです。

モッタイナイをパソコンで変換すると、勿体無いと出て来るほど。
有るけれど無いよと、漢字で表記してしまうのですから。
 
日本人の本質には、白黒着けない文化思想があります。
捨てないけれど持っていたくない。
持っているけれど捨てられない。
断捨離できない状態が、当たり前にあるのです。
 
これが祈りと呪いを混在させてしまう元だそうです。
好きだけれど嫌い、とかにも通じる「どっちなの?」ですね。
 
西洋では白黒決められないのは、幼稚な人物だと考えられます。
日本では割り切る人を、人で無しとか冷たい人と呼び、嫌悪されます。
異なる思想の文化です。
 
ですから西洋のあの世には怪物や魔女が済んで、人間ではありません。
日本では人が死んでから、魔物になったり、生きながら魔道に落ちるし、幽霊や妖怪に変化します。
更に物にさえ魂が宿ると考えるのです。
これは曖昧模糊で適当であり、捉え処が無く矛盾を肯定する考え方です。
だから『無知の知』を提唱するギリシャのソクラテスや、無用の用を唱える中国の老子に人気があります。
西洋では人気が無い人物ですからね。
 
願い事は、恨みつらみで呪うことと表裏一体だと考えます。
神仏には願い事をするな、感謝の言葉を唱えろは、こうした思想らしいですね。
 
願いは恨みつらみである。
恐いと思いませんか?
 



 

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