抽選漏れなのだろうか? [コラム・ぼやき]
厳選なる抽選によりまして。
定番の『クジ抽選』外れに関しての言い訳通知の文言ですね。
またかよと思うのです。
子供の頃から、クジ運が無くて何から何まで当選しませんでした。
大きく成長して、統計学的に運不運は無いものだと教えられても信じられない。
これは相互不信の基本思考です。
今月もサッカークジを買ったものの、カスリもしませんでした。
日本の何処かで億の金を手にした人が必ずいます。
それが自分で無くて、見知らぬ誰かなのは何故だろう?
そんな疑念を抱きつつ、希望も無く購入を諦めたり、心弾ませ購入に意欲を持ったりしています。
クジを買う前から一喜一憂し、抽選日を待ちながら妄想を膨らませるのです。
そのドキドキ感が楽しいのかも知れません。
一生に何度も億万長者になる人がいます。
運の巡り合わせは平等ではありません。
数学は当てにならんと思いつつ、当たらない人が大勢存在することを忘れるのです。
身勝手な自分を哀れに思いつつ、惨めには思えない。
何時か笑ってやると思うのですが、それは何時の事やら?
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