人生の無駄使いで見えること [道すがら]
人生を無駄に使う事、使える事が人間の喜びです。
余暇とか休暇は、その予行練習の為にあります。
ここで休暇安寧を得られない人、実感できない方々は落伍者です。
基本的に日本人は働き依存症なので、後者ばかりです。
それで西欧人のインテリ層に嫌われます。
働くばかりでは、奴隷以下だと思われるのです。
私は何もしないでプラプラできるように、訓練をしました。
頬杖付いても溜息が漏れずに、穏やかに過ごせます。
今日の猛暑であれば、涼しい場所に行ったまま何もしないで居られます。
その状態で幸福を噛み締められるのです。
これは特殊技能の一つだと思えるようになりました。
普通の人には、何もぜずには居られない。
最近の傾向だと、最低限でもスマートホンを出し画面を眺めます。
何もしないで座る私の視界内で、手持ちふたさで苦しそうな若い家族を数多く見ました。
見るとは無しに見ていられます。
これでは受動態の人間観察であるから、何もしていないと言い切れませんが、能動的で無い事実は揺るぎません。
我慢できない小さな子供は、スマホを持つ親の手を引いて邪魔します。
自分に感心を向けようと、悪戯したり騒いだりします。
スマホに夢中になると、子供に関心が向かないので、駄目な躾の出来ない親が生まれる。
こうして親の無関心から、直ぐに悪事を働くマイルドヤンキーが、際限無く世に出て行くのです。
更に拗れると、半グレや愚連隊、スーパーフリーやヤクザの予備軍になります。
学校で予備軍だらけになるから、真っ当な子供は不登校になるのです。
今の世の中は、こうした出来事の積み重ねで出来て行きます。
誰にも止められないし、止めなくとも構わないのです。
新しい常識の中で上手に生きるか、無理なら逃げるか、死ぬか選ぶだけです。
周りに合わせて駄目人間になる。
合わせ損ねると活き苦しいだけ。
これを理解し実践できる人が、賢い人間でしょうね。
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