夏日になったのかナ? [道すがら]
とても暑い一日でした。
十日くらい前にも、これくらい暑くなったのですね。
あの頃は八重桜系や梅が狂い咲きするように、一斉に満開になったものです。
本日はソメイヨシノだと思う桜が、無理して一分咲きに至っていました。
朝見掛けた時には、咲きそうな蕾の大きさには見えなかったのです。
捻り出すように蕾が成長して、何とか開いた感じを受け取ったのです。
県庁所在地では土曜日に咲いていたから、遅れじと追いかけた雰囲気ですね。
桜の木々も、桜語で噂話をしているのかも知れません。
もしくは天使が囁きに来るのか?
そんなファンタジックな考えも浮かびます。
これも創作活動の練習成果でしょう。
面白い空想や妄想が、瞬時にできれば執筆に多くの手助けとなります。
これらは擬人化の表現ですが、最近の擬人化は萌え系ばかり。
何となく低俗な性癖にしか思えませんが、不景気でお金を使うのはヲタク様だけ。
偉そうにして高い処から見下ろす方々は、財布の紐がキツクて経済活動に役立ちません。
こんな人達は、知らないカタカナ語にかぶれているだけの、無用の長物ですな。
文学も芸術も、欲を満たす道具にはなりません。
芸術性を刺激するだけで、感情に訴えるだけです。
この感動受診機能が弱まって、数字ばかりに注意が行くみたい。
使っている感性とか、脳機能が違うのでしょう。
桜に限らず、春からの花々を見て気持ちを穏やかにする。
あまり穏やかにすると、感情が落ち着いて創作に支障が出ます。
すこしササクレているくらいが好ましいみたいです。
季節の花を横目で見るくらいに留め、写真撮影をしなくなりました。
美しさは美で留め置き、感動や癒し効果を避けて通り過ぎる。
そんな数年間が続いています。
自分も感動の機能に、少し不具合を生じたようです。
作家の癒しは限定的で、少しだけで充分足りるみたい。
因果なものですね。
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