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気が付けば夕暮れて [道すがら]



久し振りに楽しい本を読んでいて思い当ったのです。
「ああ、夕暮れだな」と。
得てして楽しい時間は無為なモノです。
何か身に付いたり、教訓めいたモノを得たりしません。
 
では何故に楽しい時間は無為なのか。
人生の無駄使いをしているからでしょう。
私は、人生を有意義にしたいと懸命に生きて来たと自負しています。

その理由を延々考えていたこともあります。
その時間は他人が見たら無為なことです。
懸命に生きて来たのは、塵あくたなな人生だからです。
足りない何かを探して、右往左往して七転八倒していたのです。
元気に楽しそうな人を見ては、嫉んでいたいたのです。

これを今で言う処の『非リア充』と呼ぶのですね。

反する『リア充』とは何か。
現実世界=リアルな世界を充実して生きる。
衣食住に恵まれて、自己充実感を他人が与えてくれる人。
それが『リア充』ですね。

非リア充は、自己肯定感を自分で得なくてはいけません。
こんなに頑張っていることを、自分から探して生きて行く。
現代社会に生きる野生動物みたいに、心の餌を探している。

充溢している人は、心の栄養を他人様が勝手に分け与えてくれます。
野良犬の目で、充実感を探し回らなくていいのです。
結構な人生だと、つくづく思います。

自分が芸術活動に身を投じたのは、こうした心の充実を自己充電するためのこと。
身体が元気なうちは、何処となく流離の放浪旅を楽しんだものです。
これを少し前で表現すると、自分探しとなるのですね。
それが理解できて、旅行とか一切行かなくなりました。
テレビの旅番組で気持ちが満たされますから。

それに有名観光地は人いきれする場所です。
私は基本的に、都会も人だらけで大嫌いなのです。
結論的に思えば、行きたいと思える筈がないですね。
そもそも自然豊かな、過疎の始まった地域で暮らしているのです。
この場所が、自然豊かで暮らし易い、無名観光地域なのです。

窓から山を眺めて、楽しい本を読んで、テレビを見て過ごせば良いのです。
これが一番のリア充だと、今日になって思い当ってしまった。

最近、創作意欲の減退が起きていました。
つまり人生が充実して、心が満たされていた。

もう他人様が何をしようが関係ないのです。
政治が腐っていても構いません。
貧乏だって、楽して生きているのです。

これでミサイルや、原子爆弾が飛んで来なければ良いのです。
大型の台風だって、滅多に災害にならないのです。
地震だって震度5位です。
平積の本が倒れるだけです。
山からの地下水で、井戸が枯れたこともない。
これは桃源郷でパラダイスなのですね。

地震雷火事親父。
朝国、支那国、ヤンキー国なんて、もうどうでも善いのです。
偉い人や金持ちが困るだけ。
貧乏人は生まれた頃から困っています。
困っていない人生の方が、変のですからね。
 
これは逆転の発想でしょうか。
本やテレビを見て、ブルグに好き勝手書いて生きればいい。
何と幸せな暮らしと生き方だったのやら。
 
もう無駄な事はしません。
したくもないです。
 





 
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