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後悔の夜を過ぎて [コラム・ぼやき]


お前は阿保なのかと問われたら「当然でしょ!」と言えます。
若い頃から、人がしないような夢の事柄ばかりして来ました。
そして夢中になって取り組んで来たのです。
やがて飽きて、次のワクワクに向かい突き進んでいたのです。
 
当然、どこかで無理が祟ります。
現在はそれらの回収作業に追われているのです。
 
昨晩は十五夜でしたが、月は見られませんでした。
テレビでは高感度カメラで、雲海の向こうを捉えて見せてくれました。
ハイテクに感謝するとともに、嫉妬する訳です。
 
あんまり暗闇で目が効くのも問題です。
野生動物だったご先祖様のご先祖達は、目の機能を大幅に捨てたのだとか。
だから哺乳類は夜行性で、目の機能が良くないのだとか。
どうせ真っ暗で何も見えませんからと、見る事を諦めたのです。
 
その代わりに、優れた耳と、髭に鼻先、嗅覚を得たらしいです。
人間が音楽に反応するのは、その恩恵であり迷惑な事でもあるようです。
音の並びで、気持ちが左右されてしまいます。
本来なら、捕食者の足音だけ聞き分ければ良かったのですから。
 
虫の音にまで情緒を寄せる日本人の脳は、優れた耳と脳を持つのです。
近代では耳が機能不全の西洋騒音を、洋楽と言って喜ぶようになりました。
日本人の耳が腐って来た訳です。
ジャンク音楽です。

情緒ある脳の機能が、十五夜のような祭りを生んだのでしょう。
貧しい暮らしの中で、秋の収穫に神の恩恵を思い描けたのです。
 
私なんぞは、情緒の欠片しか無いから、団子となる訳です。
ところが曇天にも関わらず、お店に串団子が見当たらない。
既に売り切った後に訪ねた結果です。
高齢者が増えて日中暇だから、季節ものは早めに流れてしまうみたい。
 
考えも、行動も遅かったのです。
食べられず終いです。
今日の朝にも、コンビニに団子系はありません。
在庫の米粉も、昨日中に売り払ったのでしょう。
週末以降にならねば、手に入らないかも?
明日から連休ですが、その頃には十五夜心傷は癒えているでしょう。
もう欲しくなくなっていると考えられます。
 
阿保なので、心の回復は他の楽しみで癒えて忘れるのです。
子供と同じですね。
違う楽しみを提示されると、目前の不幸が書き換えられて消えるのです。
幼稚だと断定できます。
 
この逞しさと狡さで、心が快調と行きたいのですが、儘にならないものです。
若い頃の苦労が、今になって心を痛めています。
心の古傷が、治り切っていないので、古傷が痛む訳です。
十五夜の団子が見当たらないだけで、古傷の痛みを思い出すみたい。
心の心が痛むようです。
苦労や心配が終わらない、終わっていません。
 
せっかく心理学を勉強しているのですから、自己修復しなくちゃ。
このままでは費やして来た費用や時間が勿体ないです。
慈愛して労わって、慰めてやりましょうか! 
 

(夕方スーパーで、残り物団子を手に入れました。愚痴ってみるものです)





 

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