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昔話の本を読んで [本・執筆]


若い者にしてはならないのが、説教・自慢・昔話なんだとか。
雑誌やネットの書き込みにありました。

なるほど、自分も若い頃はそうでした。
今もそうですが、少し変わったこともあります。


メンタルヘルスの勉強をして、言葉が連続する中に真意を汲み取る技術が備わって来たことです。


医療行為や、悩み事相談でこの技術を使うと疲れるだけです。
疲れるどころか、自分まで病に冒されてしまうかも知れません。
凄く危険な仕事で、商売として成り立たせたくない。
そう思って、それらの道に進むことを考える事も止めました。


けれど立ち話や情報収取になら使える技術。
商売が絡まなければ、気持ちが楽になります。
生活や将来が掛かると思うから、重くなるのです。
聞き流して損もしないと思えば、何という事も無いのです。


その点、有名人が語った記録を本で読むのは楽です。
本になると、話し言葉から読み言葉へ編集者が書き直します。
さらに編集者の主観が入り混ので、当人の主張と違うものになります。
だから話半分以下程度に汲み取ればいいのです。
真に受けると、勘違いも甚だしい事になります。

当人の同様な話が、雑誌や書籍ごとに違うのはこの為でしょう。
更に話している当人も記憶が曖昧になったり、脚色したりします。
同じ話を聞きたいことは、受けの善い内容でもあるからです。
だから創作ヒストリーとして、面白く読める要因でもあります。

戦前の伝記や伝聞は、基本的に話半分の半分くらいでしょう。
ネタの裏取りできないのですから、当然のことですね。
脳内で美形化されてしまい、自己陶酔している可能性も濃いです。




よく歴史に詳しい人が「歴史を知らない」と言います。
ですが、書物を信じ切る人の方が歴史を知らない訳ですね。
人を知らないし、世間や世の中を知らないと、吹聴しているようなもの。
「裸の王様」や「王様の耳はロバの耳」の寓話程度のお話しです。
「歴史認識」なんて言葉を使われると、爆笑する私です。
朝飯や夕飯では、ニュースを聞きながら、大爆笑したりする私です。
このような状態を「噴飯もの」と云うのでしょうね。

学者や政治家は、真実を語ろうとして、嘘に振り回されているのです。
それが無自覚だから、笑えるのですね。


だからこそ、小説家の想像力が活躍できる余地が生まれます。
逆説的には「アリガタイ」ことです。
小説家や脚本かは「嘘で真実を語る」のですからね。
人が描き出す物語は、嘘にこそ真実が染み込んでいる。
思考の筋に、当人の価値観や恐れが見て取れるのですから。


なので、創作活動する人にウッカリ話なんてしない方がいいです。
心の奥底まで分析されて見透かされてしまいます。
犯罪者は騙す為に真実を聞き出します。
芸術家は創作のネタにする。

自慢話や昔話はしないほうがいいです。
現実の憂いもです。
空模様の話しでもして、挨拶に代えて立ち去る方がいいです。

特に私の前ではネ!

書きあぐねている時の私には、宝の話題ですから。
注意、注意。






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