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ヒロインは最後に来る [本・執筆]

ヒロインが主役ならヒーローは最後に現れる。
ヒーローが主役ならヒロインは最後に現れる。
こんな構造の話があります。


童話とか伝承とか、民話はこの構造ですね。


思い出すと、そうだと納得できるでしょう。

アレンジだと初めと最後の手立てもあります。
もしくは大悪役は最後とかです。
少しアレンジするものです。


ロール・プレイング・ゲームとかどうでしょう。

助けに行くヒーローは小悪役を倒しながら進んで行きます。
大悪役を倒すとヒロインを救出できる。

ヒロインが苛める相手に立ち向かい、最後にヒーローと出会う。

ほら聞いたこと、見たことがあるでしょう。
思い出せるでしょう。
いろんなお話し。




自分で小説を書いていて思うのです。
この構造を無視すると、必ず行き詰まる。
物語の形にならないのです。
できたとしても面白くないでしょう。
艱難辛苦の果てに作ったオリジナルの物語展開。
これをリアルじゃないとか、御都合主義とか言われます。
思い切り頭に来る。


当然なんですよね。
決まった構造の展開をアレンジするのはいいのです。
脚色ですからね。
でも、決まった構造を逸脱してはならない。
受け手に混乱を与え、満足感を与えないのですから。

太古の昔からある物語は、時間の風雪に耐えて生き残った。
人間の脳味噌に快感を与える構造です。
何人も逃れられないのです。


ファンタジーでもアクションでも、推理でもホラーでも同じ。
構造は踏まえて創作するべきなのです。
最近思い知ったことです。
あくまでも構造に沿いながら自分色を出す。
自分構造は駄目なのです。
色合いと調味料以上のモノを加えてはならない。
オリジナル性は毒にしかならない。


自由を得たくて創作しているのに、不自由を知る。
お釈迦様の掌の孫悟空。
比喩でも何でもなくて、掟でしかない。
不自由内の自由だけが最高の道標です。
迷わずに大道を行けばいい。
迷い道に入ってはいけないのです。



映画やドラマの撮影現場で考えました。
プロの道は何であるのか。
整備された大きな道を効率よく歩くのが宜しい。

一休さんの頓智話のように、此の端渡るべからず。
笑い話ではなかったのですね。
一休さんはお坊さんです。
仏教説話なのです。
勘違いしていました。

足利将軍は仏の道で諭されたのです。
屁理屈で捏ねられたのではない。
凄いことをされたのでした。


ヒーローとヒロイン、悪者。
全ては構造によるのです。
真新しいことなんか考える必要はない。
そんなことは天才に任せておけばいいのです。
凡人は素直に型に嵌って、真っ直ぐ歩けばいいのです。





 
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