枝先の実 [驚いた事など]
庭の秋花を撮影しようと思いました。
コンパクトデジカメを持って外にでたのですが、花より実。
何かしら梢に実がなっているのです。
咲いている花は菊とコスモス。
コスモスはもう終わりですね。
秋は実りの季節。
庭木の実は鳥用の実です。
虫のいなくなる時期に、鳥に食べられる。
それが何処かで糞から目を出す。
食べられて運搬費を払い、拡散するのですね。
鳥害も自然の摂理ですから、害ではないのでしょう。
人の判断に拠る訳です。
行動心理学の勉強を少々始めました。
これまで生きるテーマで勉強をしていました。
どう生きるかも考えなければならない。
本を読んでいると人も動物として、パターンに拠り生きている。
無自覚なのか、自覚しているかの違いです。
ここに宗教の価値観が文化として乗ってきます。
面倒この上ないですね。
学術的な物を一気に否定されたりします。
他人に語らなければどうもしないのです。
研究結果からの推論とかを話すと嫌な顔される。
人の自尊心は面倒なものです。
折角の機械を無駄にしてしまいます。
自分も最近は人から勧められる行為を面倒に思うのです。
それが増えて来ました。
原因はペイフォアードです。
施しや気配りが、巡り還ってくるのです。
一緒にお節介とか、気配りが乗せられている。
デコレーションですね。
冠とか装飾に興味が無い私です。
だから気配りも気持ちが萎えて重くなるのです。
放置してくれれば充分なのです。
必要ならお願いしに伺いますからね。
ギブ・アンド・テイクも趣味じゃないのです。
人類愛は一方的で面倒だと感じるタイプです。
サービスとかも好きじゃないのです。
木や草、鳥や虫が何を考えているのかわかりません。
循環する環境に何か要望とか疑問を抱くことがあるのか。
哲学や宗教、学問するのは人間だけでしょうか。
草木と鳥、虫を見ながら考えてしまいました。
彼らには忙しいとか、暇とかあるのだろうか。
カメラを構え終えて考えるのです。
おお俺って余剰なんだなと思う。
考え過ぎているのかも。
見た通りでいいのでしょうが、何か思いつく。
秋なのでしょうね。
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