SSブログ

テーブルの花 [コラム・ぼやき]

目を向けるようになれたのは何時頃からだろう。
そこに花がある。

CA3K0015.JPG

存在の確認。
結構人は物を観察していない。
認識しても興味が湧かないと記憶から消える。


花に限らず全てがそうである。
頭の良い人ほど物を見ていない。
認識していない。
理解しようとしない。


脳の使い方が違う。
子供は全て見て関心を持つ。
幼児ほど物をみる。
そして児童になると物を見る対称が定まる。
関心が一点に集中する。
時に集中し過ぎる。


大人になると集中力を分散するようになる。
判断力が高まるからだ。
必要な物事にしか関心を向けない。
働き盛りはそうだ。
職場や仲間などの重要地点しか見ない。
だから頭のイイ人ほど物を見ない、記憶を捨てるのだ。


老人化してくると価値観が変わってくる。
人生の判断力が高まって無価値を定めてしまう。
大切なものを捨てるようになる。
執着が末期を不安に陥れると知るからだ。
何物にも囚われにくくなる。
余った感性が自然の移り変わりに行く。
次世代を見守るからである。
だから花を愛でるようになる。
来年見られる確約が存在しないからだ。

CA3K0010.JPG


以上が自分の考えたロードモデル。
確証なんてない。
コジツケだろう。
それでいい。
物書きはコジツケに忠実でなくては書けない。
最近気が付いた。
読者側には解らぬ感性だから。
これからも色々と気付くだろう。


楽しみである。


 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

電車の音日本語の音韻 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。