テーブルの花 [コラム・ぼやき]
目を向けるようになれたのは何時頃からだろう。
そこに花がある。
存在の確認。
結構人は物を観察していない。
認識しても興味が湧かないと記憶から消える。
花に限らず全てがそうである。
頭の良い人ほど物を見ていない。
認識していない。
理解しようとしない。
脳の使い方が違う。
子供は全て見て関心を持つ。
幼児ほど物をみる。
そして児童になると物を見る対称が定まる。
関心が一点に集中する。
時に集中し過ぎる。
大人になると集中力を分散するようになる。
判断力が高まるからだ。
必要な物事にしか関心を向けない。
働き盛りはそうだ。
職場や仲間などの重要地点しか見ない。
だから頭のイイ人ほど物を見ない、記憶を捨てるのだ。
老人化してくると価値観が変わってくる。
人生の判断力が高まって無価値を定めてしまう。
大切なものを捨てるようになる。
執着が末期を不安に陥れると知るからだ。
何物にも囚われにくくなる。
余った感性が自然の移り変わりに行く。
次世代を見守るからである。
だから花を愛でるようになる。
来年見られる確約が存在しないからだ。
以上が自分の考えたロードモデル。
確証なんてない。
コジツケだろう。
それでいい。
物書きはコジツケに忠実でなくては書けない。
最近気が付いた。
読者側には解らぬ感性だから。
これからも色々と気付くだろう。
楽しみである。
そこに花がある。
存在の確認。
結構人は物を観察していない。
認識しても興味が湧かないと記憶から消える。
花に限らず全てがそうである。
頭の良い人ほど物を見ていない。
認識していない。
理解しようとしない。
脳の使い方が違う。
子供は全て見て関心を持つ。
幼児ほど物をみる。
そして児童になると物を見る対称が定まる。
関心が一点に集中する。
時に集中し過ぎる。
大人になると集中力を分散するようになる。
判断力が高まるからだ。
必要な物事にしか関心を向けない。
働き盛りはそうだ。
職場や仲間などの重要地点しか見ない。
だから頭のイイ人ほど物を見ない、記憶を捨てるのだ。
老人化してくると価値観が変わってくる。
人生の判断力が高まって無価値を定めてしまう。
大切なものを捨てるようになる。
執着が末期を不安に陥れると知るからだ。
何物にも囚われにくくなる。
余った感性が自然の移り変わりに行く。
次世代を見守るからである。
だから花を愛でるようになる。
来年見られる確約が存在しないからだ。
以上が自分の考えたロードモデル。
確証なんてない。
コジツケだろう。
それでいい。
物書きはコジツケに忠実でなくては書けない。
最近気が付いた。
読者側には解らぬ感性だから。
これからも色々と気付くだろう。
楽しみである。
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