SSブログ

走り回っています [芸術鑑賞]

各種イベントを入れた今日の私。
多趣味の病は大病になりました。
今度は彫刻に挑戦です。


思い返すと最後に彫刻刀握ったのは35年くらい前でしょう。
昔の彼方、歴史的な事実に成りそうな過去です。
中学の美術の時間位ですね。


一昨年に憧れの油彩画初めて、今年は水彩画やパステル画をしようかなと計画しています。
先の秋には墨彩画の道具も揃えワークショップにも参加しました。
夢や希望は益々盛んになる私。


本日は予定していたロビーコンサートの視聴やコーラスの練習に、夜はクラッシックコンサートの鑑賞もあります。
朝方は雪が混じって戦々恐々していたした。
忙しい予定に、不確定要素が混じっていますからね。



仕事のストレスが増す程に、バランスを取る為に趣味に没頭しています。
仕事が趣味な方は何も余暇なぞ必要無いでしょうが、切り替えしないと死んでしまいそうな私。
仕事が趣味な方は退職すると暫くして死んでしまうから、男は弱い生き物です。
確信してしまいますね。


そもそも男なんぞは、中年期過ぎるとぽっくり逝くから、油断為りません。
明日の朝も目覚める確証など無いのです。
出来る事は出来るうちにする。
仕事なんかしている場合じゃない。
それが本音です。
生活できて趣味が充実すれば幸せ者なんですから。


キリギリス派はそう考えて行動しているのです。
蟻派を差別している訳ではありません。
勘違いしないで下さいね。


スーパースター目指す中年男性は、人生のスター目指す方向に転換中。
目処が立ったらハウツーをホームページ作ってアップします。
読者の方々は期待しないで待って居て下さい。


ああ忙しい。!

楽団のある街 [芸術鑑賞]

最近耳が肥えて来ました。
自慢話じゃなくて、今迄如何に酷い耳をしていたか理解出来るようになった。
懺悔、惨義な事実の話題です。



群馬県には伝統ある交響楽団があります。
戦後の混乱期に音楽を支え続けた美談は映画になっています。
確か『ここに泉あり』でしたかね。


先人の苦労が今に実り、定期演奏会や特別演奏会、学校公演など沢山クラッシクを聞く機会がある県民です。
そうは言っても、学校の音楽授業はつまらないものですから、折角の機会も無駄に過ごして来た訳です。
それで流行歌に夢中になって育った訳で、良い物を耳にする機会を自ら棄てて来たのです。
そしてドヘタな歌を聴いて歌っての青春時代。
無駄な部分が沢山あったのでした。



中年過ぎて歌に目覚めて、クラッシクや上手な人の歌を聴き、自ら学んで音取りをする。
慣れが積み重なれば門前の小僧に成るのも自然な事。
お陰様で汚い音は聞きたくないと、ラジオで流行歌なぞ先ずは聞かない生活に至る。
静けさを好み、演奏会に足を運ぶ週末です。
歌や芝居の稽古が無ければ、何処かのコンサート会場に居るのが今の自分です。



ですから音や演奏に耳ダンボになる。
どうしても何処かと何処かを比べて聞いてしまいます。
今日もコンサートで東京から来た楽団と、群響を比べてしまう。
規模や演奏、演出に指揮まで気になる。
段々と嫌みな訳知り顔のオッサンに成って来ています。
大事なことだけれど、心根で嫌な雰囲気が醸し出されてしまいますね。



比べる基準があって、それを受容できる場所と環境が整っている。
しかも格安で楽しめる場所に生まれて生きて来た。
これからも多分ズット。


易い費用で東京から呼ぶ位なら、群響の演奏を聴いて居たい。
今日確信した事実です。
これからもモット耳を肥えて活かせれば、自分の歌も上達するでしょう。
間違い無い根拠と推測です。



世界基準の演奏家も来県する群馬。
事有る毎に足を運びたいですね。
東京の半額位で、広めな椅子で充実した時間を堪能出来るのですからね。

ジッソ塗布 [芸術鑑賞]

今日は残りの仕事が心残りで、絵筆を持つ気分になれなかった自分です。
貴重な時間だったから、次回作用のカンバスにジッソを塗布する事にしました。



カンバスに絵の具をゴテゴテに盛りつける人はジッソなんて使わないのでしょうね。
また鏡面の様になるまで絵の具を書き込む人は、厚盛りしておけば画面が平らになります。
自分はその中間かな。



ジッソって絵の具を乗せる為の「砥の粉」みたいなもの。
壁の仕上げ塗りと同じです。
また、絵の具に何かを混合して塗りつける場合や、表面の粗仕上げ風にしたいときに塗り付ける。
使い方は色々です。
絵以外にもオブジェとか彫刻にも使えます。



ジッソを塗ると乾燥が早くて塗り重ねに便利です。
2~3割くらい早く乾いてくれるので、待つのが嫌な時は便利ですね。
でも下地塗りの伸びが良く無いから、斑の原因になるから下地色が決まってるなら混ぜて塗れば便利です。
一度もした事ありませんけれどね。
題材やイメージが決まらないと色は決められないですものね。




望みの荒さまでは少々の塗り重ねが必要な自分です。
明日また時間を見て塗るつもりで居ます。
今手掛けてる絵が仕上がったら、次を直ぐにに手掛けたいですからね。
気持ちが何時、どんな形で盛り上がるか判らない。
芸術性は天気みたいなモノ、遷ろう感覚ですからね。

憧れのペインティングナイフ [芸術鑑賞]

油彩画を習って一年以上経過しましたが、出来た作品は数点。
週末に2時間未満の関わりでコツコツではこんなものでしょうね。



習い始めに揃えた品の一つにパレットナイフがありますが、これはパレットの上に残った絵の具を、擦り取り去る為に使われます。
お掃除道具ですね。


最近はパレットの掃除が面倒な方に、使い捨ての紙パレットもあります。
自分はキッンチンペーパーに絵の具を乗せて、筆を洗った後の拭き取りにも同時使用してます。
基本的には色を混ぜて作らないから、パレットは要らないのです。
最初に買ったから持っていますが活躍してませんね。



パレットナイフと同じ括りでペインティングナイフが画材店に売られています。
固いパレットナイフと違い、ペイント用だからしなやかな感触。
プニプニした反発力が何とも心地良い感触。
癖になりそうな手応えです。



歯磨き粉よりクリーミーで粘る油彩絵の具を、カンパスに捏ねくる感触が楽しそうで、想像すると恍惚感に満たされそう。
大きな絵なら素人でも使ってみたい感覚もありますが、ヤッパリ高値の華。
絵の具代が急上昇しそうなのは明かですからね。
カンバスにクテクテに盛り上げて行く様を想像するのは、楽しそうですけれどね。


しなやかな板バネのような触感は想像力を刺激して来ます。
何時かはしてみたいナイフでの描写。



一人、想像しながら脳内旅行が楽しめそうなアイテム。
それがペイントナイフです。

抽象画 [芸術鑑賞]

先週に行きました水墨画のワークショップで抽象画を描いてしまった話を書きました。


で、今日は仕事で各種教室に行けない鬱憤が筆を走らせ、新しいカンバスに色彩点描画を描いてしまいました。
衝動的と云うか自発的発効か、無意識下の活動。
何とも形容し難い行動です。



油絵って上手な方なら濡れたままでも上描き出来ますが、自分のような素人には無理。
顔料が撹拌されて色彩が濁ってしまいます。
だからある程度、絵の具が載ったら終了。
これが辛い。


頭と云うか、心と云うか、内面にある理想が形にあるのに手が出せない。
お預け。
ストレスが放出出来てもフラストレーションが溜まる。
カタルシスが固まる。
水彩画との大きな違い。
水彩画は色を重ねない配慮が重要ですけれどね。



イーゼルに掲げて乾燥するまで5日は放置しなくちゃ。
それまでに気持ちを保持する自信はありません。
この当たりが難しい。
CG絵画との違いです。



だけれど嫌いなんですCG絵画。
気分が益々優れなくなります。



人間、指先に幸せ、快感が宿るから筆は最高の道具なんです。


ああ完成させたいな抽象画。

歌謡ショー [芸術鑑賞]

ボイストレーニングをお願いしてる先生のコンサートに行きました。
観客ではなくて裏方で。


「チケット完売したので、今回は裏方でお願いします。」
入場券を買い損ねた自分は一転、無料で聞けるのですが、その分は働きなさいと云うことですね。
何となく釈然としない想いもありますが、勉強の為に裏方するのも良いかなと考え引き受けたのです。



舞台に上がる機会が多いけれど、裏方の機会が殆ど無い自分。
その苦労を理解する事が出来ずに居たのです。
お芝居の裏ではありませんが、歌謡ショーの裏方です。



曲出しを任されたのですが、今回はゲストが沢山来て居るから音源も大量。
何がどうしてこうなるか、進行表と音源元を見ながら脂汗流してました。
MD,CDとメディアも色々。
収録音量もマチマチ。
ソロやデュエット、マイクのスタンド、手持ちで音量も違う。
お客の反応でも響きが替わり、反響効果も変化する。
何て捉え所が無いのでしょう。
マイク音量やスピーカーの音量、伴奏の音量と手を加えたいと思いつつも、客席前、後ろ、袖では聞こえ方も違う。
メインが誰で、犠牲は誰なのか妥協点も極めなきゃならない。
迷いと決断の交響曲が頭に響いてました。



聞きに来る客層は高齢者主体だから、その事も考慮に入れて考えなければ。
難しいですね。


曲入れのタイミングや歌い手の出捌け、司会者のタイミングも色々。
曲順、歌手順を確認して、顔の確認して、コメント、トークの頃合いも見ての大混乱。
荷が重すぎましたね。
照明さんも大変だと思いました。
同じ様な臨機応変な対応を求められるのですからね。




最近の嫌な鬱積も消し飛ぶ重任です。
高負荷で皆悩みもぶっ飛びました。
圧縮されたのかな。




身辺で問題だらけでしたから、良いリフレッシュさせて貰えました。
今年の残りはもう少し。
クリスマスの自分のコンサートが片付けば、明るい来年が来る様な気がしてます。
艱難辛苦を乗り越えれば闇間も晴れて明るい明日が来る気がしてますからね。



色々な芸能を一気に見て、プロの技に感嘆するばかりでした。
自分もその中に入れるように精進して技を磨きたいもの。
そう感じ、沢山収穫を得た、正しく「文化の日」になった自分です。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

ビューポイント [芸術鑑賞]

今日は絵の話題です。

景色を見るのが好きになったのは年を取ったのも原因ですね。
しかし若い時分に何度も北海道ツーリングしたのは旅が好きだったから。
旅の何が好きだったのかは、その全てだったのです。
見たこと無い風景に触れるのも、その一つ。
海外旅行も同じでした。



油絵教室でベテランさんと話していたのが、好きなモノや風景画が一番いい絵になる。
それが得意技になると云うことでした。

なる程と、実物の絵画を前にして実感したこと。


自分が風景画が苦手なのは好きで無いからかも、そう思い立ったのです。
自分では好きなのだと最近まで信じて疑わない認識でした。



今日は仕事で県内山間部を回り、初秋の山並みに感動しつつ、上記の話題が頭をよぎったのです。


その認識で一番関心を持てたのが、造形の妙な場所や、崩れた場所。
特異点な形やバランスの乱れ。
これかと腑に落ちたのです。
美しい風景は美しい。
常識的な美の肯定と趣向に差が有った。
自分で自分が解っていない事例です。


長年の疑問点や課題が一つ解消しました。

111018_1114~01.jpg
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

秋の花 彼岸花 [芸術鑑賞]

自宅に秋の花々が、どんな物が咲いてるかスッカリ関心がありませんでした。
デジカメ持って自宅を一回りしてみると色々と咲いてましたね。


季節柄、金木犀やコスモス、菊かと思いきや香っているのは金木犀だけです。
コスモスは先の台風で転倒して根が切れてしまい十輪くらい咲いてるだけ。
菊はこれから大きく成ろうとしてます。
季節感が壊れてしまいました。

コスモス.jpg

曼珠沙華が何故か自宅裏に咲いている。
自宅に植えるものでは無いと思うのですが、何故か元気に咲いてます。
何時もならもう終わりの筈が元気そのもの。
丁度、油絵で描き始めたのが彼岸花だから、一輪もぎ取って瓶差しして絵のモデルになって貰いました。


彼岸花.jpg

良く観察すると六輪の花輪に花びら6枚、雄蘂が六本。
666です。


あれ、オーメンか。!
若い人は知らないでしょうがホラー映画の名作です。
益々不吉なイメージになった自分。




自分の好みからすると、バラや牡丹、椿より彼岸花が美しいと感じてます。
派手過ぎず、混乱させず、開放的で、潔い形と量の花。
一本の茎に頂上が放射的に配置された花輪。
構造的にバランスが取れて、花びらに微妙なグラデーションとフリル。
申し分ない造形美です。


完璧な美しさの配置と、無駄を削ぎ落としている花弁と最適な長さ。
見る程に工学的な美。
民芸品のような緻密さです。
黄金比の塊みたいですからね。


その分、隙が無いから冷たい女性の様で、遠巻きに見てるし不吉な感じもしますからね。



絵の方は散々に捏ねくり回して惨敗。
少しも美しさを写し取れません。
全く技量不足。


唯一の救いは、心情風景を反映出来た事。
少々、燃えるような赤と黒が出せた気がしてます。
手の打ち所が無いくて呆然としてますが、技が無いのだから限界点に到達してしまったのです。
数年先の課題を表現する一枚になりました。
情け無いな~。
小学生の絵より下手な仕上がりになってます。

紫蘇.jpg

秋の花々が猛暑で少なく、夏の花も枯れつつも咲いてる状態。
美しさが足りないし、無常観が出てる自宅周辺。
園芸の知識が無いから、見る専門の自分です。
次の作品の何かが浮かんで来ないのがシャクですね。
もっと勉強しなくちゃね。!

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

嘘八百 [芸術鑑賞]

昨年から油絵を始めたと書き込みした記憶があります。
今日のタイトルは其処から来ています。


写真は真実を切り取ります。
ある意味本当ですが、嘘。


絵画は真実を写そうとして嘘を切り取ります。
真実です。



どちらも対象物や現象から印象を受容して、自分の感覚・感動を表現したい。
この対象行動が違う形を使い衝突に駆られた結果が作品である。
それだけです。



一番大切ですが、それで終わらないのが芸術でしょう。
出来た、作った何かが他者に語る欲望が生まれます。
見て貰いたい。
感動して貰いたい。
賞賛して欲しい。
馬鹿にされたくない。
無視したら嫌だな。


キリがありません。


で、タイトルの過程を経るのですね。



美的感覚は構図と色彩、明暗にあります。
人の脳構造がもたらす機能性が感動を作る。
人間工学的な作用を経験的に知る方々の指導により、作品に反映させて再構成させるのです。



視覚機能に従って不要物を取り除き、必要物を存在させるのです。
まさしく嘘八百。


絵は心象風景の出口ですから嘘で良い。
嘘を毛嫌いする宗教原理主義や倫理論者が芸術嫌いなのも当然ですね。


嘘も方便と規定する仏教の国だから日本は趣味芸術が盛んで、自分も構成員になれました。
この国に生まれて良かったです。


嘘で塗り固めた絵画。
芸術の秋にピッタリです。

ああ筆が進む。

寄席の楽しみ [芸術鑑賞]

自宅周辺のある近めの文化会館では年に1度くらい寄席があります。
有名所とかそうでなくとも、入場料が高い低いはありますが、結構探すと開催されてます。



落語の楽しみは単純に笑わせて貰うだけでなく、時事ネタや歴史考察とか時代考証に始まり、文化、芸術、市井や政治家、色々に取り混ぜてくれる話が面白い。
単純なようで複雑な人の根源の面白さ滑稽さを上手に扱う所が好きで、ヒョイヒョイ聞きに行ってしまうのです。
まあ最近の傾向なんですけれどね。



最近の馬鹿丸出しのTVのお笑いが、呆れるだけで笑えなくなった年令になったのも一因。
人として成長したのかなと思うのですが。?
充分に間抜けで愚かではありますがネ。




落語の話はチラシにあった記事ですが、話、咄、噺と段階を踏んで区別されるようです。
話は単純に会話での意思疎通。
咄は物語と落ちの構造。
噺は世間の機微や人情、世相をも表現する。
噺家になると落語家になれるとあります。


先日の狂言勉強会でも動揺に、歴史や人物系譜、思想、宗教を理解し、人の愚かしさ滑稽さを笑いに落とし込めて狂言は作られているので、単純なお笑い話では無いのだとありました。
古典芸能が生き残って来た背景には、間口の広さと奥行き、喜怒哀楽の妙に不条理、悩み、苦しみがあって物語が無駄を削いで作られて、歴史の取捨選択の後に残るのようです。
異形のの物や刺激だけでは歴史の波に揉まれて消し去られてしまうのですね。
そして作品も芸人の研鑽が在ってこそ、面白く表現される。
総合芸術、相互研鑽なのだと判ります。



老若男女が一緒に楽しめて、過不足が無い事が重要。
全てを満足させるには永い修行と研鑽が必要なようです。
落語を見聞きすると楽しみつつも、背筋が伸びる想いがします。



会館主催の落語、寄席は高齢者や低所得者向けに、入場券が安く設定されているので、予定に組んで聞きに行ってます。
TVに良く出る方々を興業会社が呼ぶと高額になるので見に行ってません。
芸の善し悪しと入場料が関連してないのも芸事の共通点です。
まあこんな話を各業種の熱烈な盲信者に云うと嫌われますけれどね。



色々と楽しみながら、勉強になるのが寄席です。
これからも楽しみにして巡って行きたいですね。!


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。