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現実は小説より面白し [本・執筆]



現実は小説より奇なりと申します。
実際におかしなことや変なことが突発的に起きるものです。
災いも幸福も何の脈略無しに訪れたりするものです。

でも小説や脚本にそれを使うことはできません。
脈略の無い出来事はご法度です。
何らかの因果含んで出来事を作らないといけません。
小説作りには法や律は定められていませんがあるのです。
不文律と呼ばれる宇宙の真理です。
嘘話には明確な決まり事があるわけです。
嘘とはそういったものです。

ですから小説家の書いた実体験は面白いのです。
仕事で行う不文律を一切考慮しないで書けるからです。
どんなに不自然な出来事でも現実です。
嘘臭くても本当な出来事です。
だから殴り書くように文体が進んで行きます。

ドキュメント作家の本が凄くツマラナイものです。
本当の事を書こうと気負い過ぎるからでしょう。
訴えたい事があり強く主張したいからですね。
だから暗く重くなるのです。

普段から嘘話を思い悩んで書いている小説家です。
本当の事を書いて良いとなれば一気呵成に書き進んでしまえる。
真実の出来事ですから容赦無い表現になります。
文章が明るく速度のある表現文体になります。

読んでいる読者は引きこまれます。
ノンフィクション作家の本は内容に引き込まれる。
小説家の本は文体表現に引き込まれます。
上は大きな社会問題や事件が取り扱われます。
下は些細な家庭問題や友人知人の愚痴に終始します。
取り扱っている題材が違うから真実の本でも食い合うことはありません。
前者は自分達にも降りかかる可能性があります。
後者は既に皆が経験している場合も多いです。
このように違いは明確で立ち位置や効果方面も違います。

このところノンフィクションや学術解説本ばかり読んでいました。
おおもとの世界観を得るネタ探しです。
小説家の身の上話やエッセイに人生相談を読むと心が和みます。
大変な人生だと思うのですが傍観者でいられるからです。
思わず笑ったり目頭が熱くなったりするのです。
こうして作家の人となりを知るとファンになる。
こうした効果は見逃せませんね。

大切な客を作る大事なエッセイの類です。
自分も何時か書いてみたいものです。
日記を書いてネタの保存をしている最中です。
心の声を外に向ける日は何時でしょうか?
 





 

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秋風の春空 [本・執筆]



♪春なのに~♪ のような感覚があります。
出会いと別れの季節は別れが最初です。
そして桜の花が咲いて行く。
別れのエナジーを出会いのパワーに変えて行くのでしょう。

などと考えてみるものの力が出ません。
春の気配が真冬の感覚に近づいて寒い晩でした。
今日も朝から冷たい北風が吹いていたのです。
心に秋風が吹いているみたい。

天気が悪くなる影響もあるのでしょう。
悪くなる前は妙に晴れやかな空です。
気圧の変化や湿度で感情が揺れるこの頃。
心が芸術家体質になって来た証拠です。

季節の移ろいや人の心模様が伝染してきます。
生きずらい性質になりますが創作には欠かせない特性です。
天気予報を見ながら一喜一憂する毎日です。

早く良作を作って自慢したいものです。
 




 

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スター・システムです [本・執筆]



手塚治虫先生の採用した手法です。
キャラクターを使い捨てせずに登場させる手法です。
違う作品に登場したキャラは違う役回りをする。

キャラクターを俳優女優に見立てて利用するのです。

自分も沢山の作品や習作を作りました。
そろそろ性格のキャラ分けが出来なくなっています。
何となく似ている人物を作中に登場させています。
人生経験の限界点を超えたのでしょう。

仕方ないので今日からタイトルの手法を使いました。
するとスラスラと書けるではありませんか。
場所と職業を変えてキャラに活躍して貰いました。
名前もほぼ同じです。
日本語は同音異義語が沢山あるのです。
不自然でなければ当て字でも構いません。

私は未だに世に名前を知らしめていません。
作品も世に知らしめられずにいます。
どんなにキャラを使い回しても何の違和感もないでしょう。

そして私が下積みなら登場人物も下積みなのです。
一緒に天辺を目指せばよいのです。
劇団スーパースターの専属役者達なのですから。

ヨシ!
一緒に天下取るぞ!
oh~!!!
 



 
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書籍の誘惑 [本・執筆]



本読み人なんだなと自覚させられます。
傍らに本を置くと読み始めてしまうのです。
昨今はネット依存症とかゲーム依存が問題視されます。
書籍異存は問題視されないのでしょうか?
社会性の認知度で地位を得たのでしょうか?

本好きと言えば二宮金次郎ですね。
学校にある二宮金次郎銅像が非難されることが何度もありました。

戦後はGHQの思想弾圧で行われました。
戦前は勉強する子はロクナ者にならないと叱られたそうです。
高度成長期には交通事故の誘発になると、本の歩き読みが禁じられました。

自分も小学生時代に漫画本を読みながら歩いて怒られたものです。
今はスマホであり少し前は携帯電話でしたね。

こうしてナガラ歩きは危険だと勤勉の象徴は非難の対象でした。
最近の新設校では着座した銅像だそうです。
これも道端で座り込む『地ベッタリアン』=『ヤンキー』として嫌われます。

コンビニ普及時代には皆店先で座り込んで弁当を食べていました。
『地面直座り』は学校の体育や運動会で常識ですからね。
マナー違反だとか業務妨害だと言われます。
時代は変わるものです。

自転車ブームの今はどうして食事しているのやら?

話が脱線するばかりですが、皆何かの依存体質行動ですからね。
生活習慣や文化で認知された行動も時代の変化で嫌われるのです。
そこで依存体質な行動だと認識されます。

それで最近は傍らに置くのは書類や資料だけにしています。
書籍類は歩いて手に取る場所に置くことにしています。
手の届く範囲は危険です。
作業の邪魔にしかなりません。
遠ざけるに越したことがないのです。

ついウッカリが恐い。
事件事故はついウッカリから始まるものです。
 





 
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アイデア・妄想の海 [本・執筆]



怪しげな海に浮かばないと何も書けないモノです。
それには一度全力で出力して見るそかありません。
気持ちの上で書き残しがあると沈みます。
積み残しのある船には新しい荷物は乗せられません。
それはアイデアも一緒です。

前作で書き残し気分があると停滞します。
こうしてブログに吐き出して置く。
もしくは日記にやアイデア帳に書いて出す。
こうした処理失くして書けないものです。
 
天から降って来るアイデアを荷台に受け留める。
地道に探した発想の為に空荷に積み込む。
全ては荷台が開いている前提が重要なのです。
 
創作の船が軽くなっているのか今週検証します。
 




 
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ハシボウ = 箸棒な原稿 [本・執筆]



箸にも棒にも掛からない。
そんな例えをハシボウと言うらしいです。
文芸に傾倒して始めた知った短語後でした。

この手の例え方は比喩的な表現ですよね。

私は脳味噌が筋肉系で、機械的工芸に関わる技術者でした。
肉体を使って頭も少し使って、血液循環を良くしていたのです。
基本的な考え方・思考法が順番・階段的です。
ロジック思考だったのです。
 
それを中年になって芸術に目覚めてしまったのです。
論理的に解釈しない芸術思考は、出発点と結論が点と点です。
途中が見えないから順序立てた説明が不可能です。

天才ならそれでも欠けたステップを補えるでしょう。
でも凡人の私には理解不能でした。
直観は単なる気まぐれだと、廃棄処理してきた人生でした。
芸術系の考え方に馴染めないのです。

でも経験を積んで、抜けた途中経過も予測できるようになりました。
予測であって確証はないのです。
そう思うことにするだけです。
 
出鱈目な思考が、今になって問題化しています。
文芸作品に思考の跳躍が見られます。
書いた小説が日本語になっていません。
読み返すと、本人も意味不明な文字が並んでいたりします。
考えた景色に指先が追い付かない。
だから途中経過が抜け落ちているのです。

主語が指し示す修飾語群が、突然に入れ替わっていたりします。
日本語なので、主語が誰なのかもわからなかったりします。
この文章を本当に私が書いたと思えない。
記憶の流れが一足飛びで辿れないのです。
 
困った事になっています。
苦心惨憺した作品を読み返すと、混沌が広がっているように見えます。
絵画で云う所のシュールレアリズムみたいな感じがします。
足りない部位を予測で埋めて行くしかありません。
手直しが大変です。
締め切り際まで執筆したら、ハシボウ原稿になるだけです。

人生半世紀も生きて、大きな難関にぶつかってしまいました。
さてこの先に制御可能かな?
やっぱり音声入力を導入した方が良いのかな?

逐語記録だって意味不明だったりします。
精神病の患者みたいな、統合失調かと思う程です。
何とかしないと駄目ですね~。
 




 


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バカ作品に向き直すべき [本・執筆]



昨日になって浮かんだ考えです。
自分に不足しているモノは何か?
おバカ作品を作る能力です。
バカ度ゼロの作品ばかりでしたから。
 
先月から自作の脚本を読み返してみたのです。
ありましたよ、バカ作品の数々です。
映像化しても何も残らず、何も引きずらない作品です。
かつてノリノリで書いていたなと、思い出した位に思い出せませんでした。
 

どうして路線が常に変わっていたのか。
作品と作品の間に、大きな時間差がありました。
その間に自分周りが変化し続けて定まらなかったのです。
立ち位置の変化が作品に反映されて、すっかり作風が定まっていました。
近年は陰湿で凄惨な物語ばかり書いています。
昨年の終わり頃には、ホラーまで書き始めたくらいです。

以前に漫画家だった楳図一夫さんのムック本を読みました、
やはり作風の根源は、小さい頃の生活にありました。
同じように漫画家の水木しげるさんも、人生体験が元になっています。
でもどこかしらに必ずユーモアが滲み出ています。

両氏とも、ギャグも書けます。
それが恐くて面白さになり、作品に活かされていました。
だからこそ、子供漫画足りえたのですね。
米国のスプラッター物や、モンスター作品と違いがあるのです。
自分も「鬼太郎」や「マコトちゃん」等を読んでいました。
恐くて面白くて悲しいのが、日本流のホラーです。

読み終えて、何も残らない。
単純に怖くて面白かった印象だけです。
それで次も読みたくなった。

恐いだけの作品を好んで読んだのは、中学生くらいからです。
それまでは楽しくないと手に取りませんでした。
炭酸飲料水のように、最初はファンタで後でコーラになる。
子供が大人になる階段の道筋です。

自分は物書きしながら、すっかり忘れていました。
読者を喜ばせる工夫を失念していたのです。
自分が書いて喜んでいただけ。

物語はそれなりに形になっても、商品として如何な物か?
今になって考え直しています。
もっとバカ作品に振って、読者を笑って泣かせないといけません。
ハラハラドキドキさせて次に期待させるべきです。
バカのエッセンスをまぶして作らなくてはいけないのです。

脚本に限らず、プロットや企画の文章もドタバタ劇が幾つもありました。
自分で思い描いておきながら、手を付けていませんでした。
この辺でしっかりと原点回帰した方が良いですね。
商品としての価値を高めるべきです。
磨いて輝かせるのではなく、構成から見直すべき。
登場人物にバカな性格を入れるべきです。

どうせなら主人公がバカな方がいいですね。
周囲には冷静沈着な人を一人配置すればいい。
清廉潔白とか、芯からの悪人とか、少年漫画の様な人物群。
大人ぶって堅苦しくてはいけない。
しょせんエンタメです。
完璧にエンタメに振るべきですね。

スマホ・ゲームで暇を潰す人を、物語に引き戻さなきゃ。
未来と固定客は、自分で引き寄せなくちゃ。
 




 
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常識という非常識な世界 [本・執筆]



創作活動で云われる事柄ですが、未解決な事例があります。
常識と非常識の兼ね合いです。

常識に従い過ぎると、物語の先が見えてしまいます。
非常識過ぎると、不安定感が増して面白くない。

物語創作以外でも、エンタテイメントの鉄則があるそうです。
期待に応えて予想を裏切る。
展開やキャラクターが縦横無尽に展開して行く様を見せること。
これが重要なんですね。

これが極端に出ているのが、漫画やライトノベルです。
作者がノリノリに書くと、収拾がつかないような物語に仕上がる。
落ち着き払い書くと、ノリが悪い作品になります。

ベテランの作家は、安定して何処か躍動的。
登場人物は期待の通りに動いて、展開だけ予想外。
反対に、登場人物がエキセントリックで、予想の結末に転げ落ちる。
前者が見えない落とし穴に落ちる面白さです。
後者は道の穴に、よそ見して落ちる面白さ。

これを上手に演出するしかないのです。
しかも主人公を中心に、脇役や端役を上手に出入りさせる。
過不足があると、誰の物語なのか不明になります。
主人公不在になるか、主人公が鬱陶しい存在になるのです。

この辺りが、慣れと技に当たります。
料理で言えば火加減やさじ加減でしょう。
簡単に身に付く物ではないのです。

何を扱うかよりも、どう料理するのか?
物語も同じですね。
 
自分に一番の課題ですが、課題が見えたことが嬉しいです。
暗中模索で迷い続けるよりは、行く先が見えた方が良いです。
 
今年はこの課題が、自分の大きな壁になるでしょう。
 




 


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自己評価して発見する [本・執筆]


このところ旧作の脚本を読み返しています。
習作脚本集をまとめたいと思っているのです。
結構な分量の紙が積み上がって、場所を占拠しているのです。
 
講師の評価や修正点を反映して、紙の脚本は処分したい。
コピー用紙五百枚束で、一冊半もあるのです。
机が傾いでいますからね。

データはテキストとWordなのです。
閲覧しやすいPDFも作って、無料クラウドにでも納めて置きましょう。
次のステップに活かせると思っています。

こうして自作の見直しをすると、記憶が蘇るのです。
あの頃何をしていたのかと、思い出すのです。

無思考で書いたつもりでも、思い返すと何かしら工夫をしています。
忘れた思考法や、技法が分析できます。
多分こうして作ったのだと、思い返せるのです。
冷静な自己分析です。

当事者の自分は、熱を帯びて書いています。
その時には自己分析なんてできません。
小説の推敲と同じく、頭を冷やして読み直すべき。
そう思うのでした。

それに忘れた情熱や、考え方も思い出せます。
今の自分と、過去の自分の差が見える。
多少なり上手になって、捨ててしまった思考法が見えます。
過去の自分を訪ねる旅でもあります。

これを自分探しと言うのでしょう。

読み返すのも、短編習作だからこそ。
中編、長編だと読み返す気分になりません。
時間が必要で、手間も掛かりますからね。
 




 
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仕上げの仕上げ [本・執筆]


昔に書いた脚本の手直しと、清書をしています。
書きっ放しでは勿体ないです。
その時に、自分の描き出した世界観です。
大切に残して置かないと、無駄死にですからね。
 
脳内の物語は、一種の宇宙空間です。
「胡蝶の夢」ではありませんが、空想宇宙は一つの宇宙です。
今が幻で、描いた方が本当かもしれない。
映画の「マトリクス」も、同じ哲学なのですから。

何が現実で、何が空想なのか判別できない。
AIが小説を書くように、思考パターンで出力した作品ではありあません。
苦心惨憺して思い描いた、生みの苦しみを味わっているのです。

男でも生みの苦しみを知れるのは、創作活動だけですからね。

これで作品が磨き上げられ、新しい着想が得られる。
そんな気がしています。
書けば書く程に、書き易くなるものです。

もう存外に書きたい作品はありません。
十二分に吐き出しているのですからね。

後は残り物を加工して、着想を得て変身させる。
昆虫の様に、完全変態できたら違う作品として、胸を張れます。
似たような話だと、パクリとか言われちゃうでしょうからね。
 




 
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