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腹に据えかねる [コラム・ぼやき]



タイトルの文言に人手間加えてみるとします。
「かねる」の文字に変換を加えると意味が変わります。
兼ねる、金る、鉦る。
漢字遊びで造語したり、意訳的なフリガナを付けてみる。
漫画やライトノベルやライト文芸でお馴染みの手法です。
日本語の面白さでもあります。

でも国語の先生や、文学専門家に謗られるでしょう。

でも日常会話の中では、単語の意味が展開します。
親しき仲に、造語や意訳、反転、転換が起きます。
女子中高生の常用後も時代に流行が起きます。
短縮文字や略語ですね。
近年は携帯電話からスマートホンの影響もあります。
言葉より顔文字やスタンプ文字、アニメ文字で意志疎通するわけです。
もう言葉は音声でなくて、テキストやドローイングの世界に埋没して行きます。


自分の利用しているブログも道具として形骸化しました。
ソーシャル=不特定大衆から、特定の誰かへのつながりで、来訪者が激減しています。
仕組みとしてソーシャルでも、草だらけの公園や廃屋社務所と同じです。
あるだけで、誰も使わない公共施設です。

人と人が近しい場所で、新型の村社会化しています。
東北の大震災から急激に密集個別化が進行しています。
価値観が狭くなるばかりで、心が小人になるばかり。
特に世代間交流の場所で感じてしまうのです。
捨てられた子猫の段ボール箱のようですから。

その反動なのか、社会人になると意味不明な団体活動を始めます。
急に社会のためにとか言い出したりします。
最初にするべきは、頭の蠅を追い払うことでしょう。
そう思っても口にできないのです。
言えば傷ついて引きこもるだけです。

海外ボランティアしたいとか言い出す人がいます。
自分の視野と、自分の認識限界が一致していません。
見えていると理解可能だと勘違いしています。
無駄にソーシャル機能が発達しているだけに、勘違いの幅が地球規模です。

日本だけでなく、世界中で同時多発的に勘違いする。
特に親の収入が多い子息子女に勘違いが強いです。
変な刷り込みや、リベラルな親の毒を吸ってオカシくなっています。
諭すとグレるから、見て見ぬフリをすることに決めました。
痛い目見た方が勉強になります。
命を落としたりしても、他人様と思えば心は痛みません。
そうした断捨離理念、仏教的な思想を学んで身に付けました。
キリスト教的な考え方は、自分を他人の苦しみに巻き込んで、余計な苦しみに落とし込むだけです。

地獄に仏の考え方は、自己研鑽に良い効果があります。
その仏は他人にお任せして置けば良いのです。
西洋的な何時でも何処でも現れるヒーロー、ヒロインは無用の長物なのです。
そんな御都合主義は、エンタメ作品で使うだけです。
現実の世界に期待してはイケマセン。

仏様は道の端で、苦しみを抱えた人が来るまで黙って佇んでいる。
それが地蔵菩薩や道祖神ですからね。
思想信条は限定的でも、大いなる慈悲は地球規模で覆われています。
あとは当人が気が付くのを待つだけ。

あとで気が向いたら、悪事と善意を人知れず行うのが良いでしょう。
「情けは人のため成らず」です。
この成るを為すにすると意味合いが変化します。
タイトル後の書き出しと一緒です。
耳で聞き取るのと、目で読みとる違いに、意味の違い。
行動が大変な遠回りをするのですからね。

聞いても読んでも勘違い。
いちいち腹を立てたり、怒ったり、悔やんだりしても仕方ない。
過去は過ぎてしまい、未来はやってきません。
現在が命のある限り連続するだけです。
間違いは間違いでそのまま放置です。
 




 


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