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心の浄化 [お稽古・勉強]


先日に舞台をやり切って後悔が無いと書きました。
ところが一年近く同じ役をしていたためか、人物像が心の中に息づいてしまったみたいです。
この役どころに、葬送の念を送る必要があります。

特に演目終了に死んでしまうから、何度も生き死にが繰り返されて来た経緯があるのです。
つまり復活するのが当然になったわけです。

昨年末には役処を思案していたら、顔に死相が出て驚いたくらい。
つられて死んでは困るので、一時期は演技の事を忘れる事に費やした位です。
演技経験の中で、演じ手が役を捨てるなんて初めての経験でした。
どうやって忘れればいいか、悩むくらいです。
だから稽古に行くのが凄く嫌だった。

稽古中も、役作りの話題に加わるのも避けていました。
更に裏役でも死んでしまう配役であったから、混乱しまくりました。
こんなに死が近い役どころも初めての経験です。
軽く考えていましたが、黄泉の国に足を踏み入れていたようです。


こんな役の呪縛にどの様に向き合うのか?
これが今回の課題だったのかと、今にして思うのです。
そして自分に対して、演技世界の役に葬送の儀を行う。
ひどく辛い気分になりました。

大雨の降る窓を見ながら、途方に暮れていたら、泪が自然に流れて止まりません。
ああ、自己浄化作用で泣いていると思ったのです。
深層心理の自分が、表層意識の自分に生まれ変わりの指令を出してくれている。


ひと泣きして思い付きました。
死んでしまう役の人に対して、突っ込んで思考をしてはならない。
映像系の役なら、早いところ一月前位で脚本が来ます。
酷い時ならその場で説明があるだけ。
何も考えないで、死んだふりだけすればいい。

でも舞台だと、何カ月も前から脚本が手元に来る。
これが自分を、彼岸に落とし込んでしまう、元凶になるのですね。
生きている人間は今を考え、死後の世界を考えてはイケナイ。
古典的な宗教は、今生きることを差し示します。
未来の事は考えるな、死後の世界は考えるなと戒めています。

芸術家の罪が深いのは、過去と未来に、生前や死後世界を思考することです。
神の怒りに触れる所業でもあります。
最も罪深い行為を出来る立場にあることですね。

すっかり忘れていました。

だから一仕切涙を流し、役処を押し流せることが出来たみたいです。
素直に千秋楽で、感動して泣けばよかった。
完璧に努力をして遣り切ったのもイケナイみたいです。
少し後悔が残る余地が必要なのでしょう。
心の余裕は、どんな場面にも不可欠だと確信しました。

これからは完璧とかキツキツにならぬよう、途中で止める勇気を持つようにします。
絶体とか完璧は破綻の呼び要因です。
もしかすると、やり過ぎは完璧超えかもしれません。
程々を学ぶ機会になるよう、心を入れ替えます。



 

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