金は下世話なのかな? [雑多なこと]
依り代が何であるかが、下世話であるかないかの境界線のようです。
この数年間に、沢山の本を読んで思い付いたのが下世話の線。
太古からの歴史の中で、人は色んな物にスガッテ生きて来ました。
現代の依り代は金でしょうか?
大昔なら金の価値も危うかったのでしょう。
この世界的にも、希少金属を頼りに通貨として経済を作りあげて来た。
価値が空想であることは、今も変わらない事実です。
お金が紙に見えるか、神に見えるのかが、下世話の境界線。
神代だと思えば欲に支配されている。
取り敢えずの紙切れだと思えれば、何とか自己確立している。
二通りの考え方に分けれれると思うのです。
国家銀行の発行券がお金。
価値の保障をしているのですが、国が転覆すれば本当に紙切れです。
今の世の中は金融機関の発行する数字が紙幣でもある。
通帳さえ持たなければ、依り代さえないのです。
インターネットで数字を打ち込んで、残高を見ても実感なんて無いでしょう。
人が決めた価値のあるものは、虚ろで実態が無いのです。
安心して迷いなく、生き永らえる感覚を持てることが、何よりも驚きなのです。
頼れる物が架空の数では心許ない。
私は不安を感じているのです。
残高を見て、安心できる事が信じられません。
神に替わる依り代さえ持たないのであれば、お店に売られている神棚と同じ。
御神体や護符がなければ、家型の木箱でしかないのです。
価値が何であるのか、全てが他人任せで世の中が回っている。
恐いと思いませんか?
こんな事を知り合いに行ったら、情緒不安定だと言われるでしょうね。
心配して貰えるかも怪しいです。
要らない、困った奴と思われたら、疎外感を感じてしまう。
何も語らない方がイイなと思うのです。
だからブログに書き込んで見ました。
この不安は、仕事とは何かとの問いに答えられないという、事実を暗示しているのです。
労働の対価が金です。
金に価値があるのか?
労働に価値があるのか?
全て信用ならない。
自分さえ信用ならない。
信用に足りるものが、世の中に存在しない?
だからこそ不安なのでしょう。
違いますか?
皆さんは大丈夫ですか。
架空の物に身を委ねていも、安心、ok?
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