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運命の時は? [本・執筆]


自分の過去を振り返ると、タイトルの言葉が思い出されます。
偶然というには余りにも芝居ががっかた事がある。
ブログを読んで頂いている方々も、そんな体験があるでしょう。


私はその偶然に導かれ易い体質の様です。
騙され易いと自覚があるので、基本的に疑ってから行動するようにしています。


行動を停めようと思うのは、行く先に引き留める行為や人、物が連続で現れる時です。
運気が悪いと確認された場合ですね。

反対に進む時は、あれよあれよと物事が転がって行く時です。
坂道を上るみたいに、転がり上がる場合が運の目が出たのだと判るのです。

坂道を転がる時は、悪いことが起きる前兆です。
全力で回避、停止、後戻りするようにしています。
大切な誰かの誘いであっても、キッパリと断るし、去るようにしています。
第六感を最重要にしつつ、周囲を分析するのです。
陰口や罵倒されても、逃げ去るに優先する事などありません。
私は常に、小動物のように警戒するのでした。


ですから、棚ボタ的な得はありませんね。
くじ運とか、ジャンケンも弱いですから。
でも危険だけは、直ぐに察知できるのです。


今の行動原理は、人生に危険をはらむものです。
創作活動は世に無くても困らないモノです。
行動の結果、貧困や飢えで苦しむ危険を伴うでしょう。
みなそう思うから、趣味や芸術、スポーツなどには血眼にならないのです。
見果てぬ夢だと、大人になると捨ててしまう希望の光です。
地道とか、安定とか、何となく生き易そうに思える方向に進みます。
自分も若い頃はそう考えていましたね。
リスクある遊びをしていましたが、普遍的な道を歩んでいた。

でも、生き辛さが徐々に増し、行く手を阻んで来る。
通させまいと壁や障害物が現れました。
邪魔立てしていると実感するくらいにです。

そして紆余曲折を経て今に至る。
不思議と苦労の先に、手を差し伸べてくれる人や機会がありました。
道標の登場に従い進むと、苦労も苦労ではなく経験値を上げるだけでした。
死にそうな苦しみや、息苦しさとは皆無だったのです。


好きに生きていい。


これが人生から授けられた言葉の様でした。

一昨年には、背中を押されるような本とも出合えました。
今読むべきだと、図書館で本が待っていてくれた。
「君が来るのを待っていた」とでも、言ったかも知れません。
漠然と捜していた言葉群が、そこに存在していたのですから。

大昔の本なのに、閉架処分されずにそこに存在していたのです。
古い本は壊れて読めなくなることも多いですからね。

自分が趣味の勉強するために、図書館に通っていたからこそ出会経たのです。
偶然ですが、今となっては必然でありました。
運命の時とは、本との出会いでもありました。
時空を超えた出会いには、書籍が一番の手段です。
過去からのメッセージを、未来人に手渡す機会が本の執筆です。



あれ以来、本を読みふける時間が増えました。
自分の創作の後押しをして貰う、そんな本に数多く出会うようになった。
本を読むと、本文の中に新しい情報が入っています。
そんな手掛かりを元に、次の本に渡る。
もしくは、隣に運命の本が存在することもあります。

不思議ですね。

何かを知りたいなら、本の連鎖が一番のようです。


今年はどんな運命の時が、突然訪れるのか?
渇望している限り、機会は永遠に増殖して行くでしょう。
今年も楽しみなのです。



 

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