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デジタル・デトックスします [雑多なこと]
現代人はデジタルの毒が身体に蔓延して、身も心も侵されているそうです。
こうして意味も無くブログを更新している私も、その患者の一人かも知れません。
もともとは趣味の日記でワープロを始めて、それがパソコンに成りました。
WIN98から始まって、現在は7です。
もうサポートが終わると脅されているので10の導入を考えています。
切りが良いなと思えたのが4半期の末だと気が付いたことです。
ここいらで依存から脱却し、執筆に真正面から向き合いたいと思えたのです。
完全デジタル廃棄ではありませんが、投稿するにも手書き原稿は駄目な時代です。
もう昭和50年後半には戻れません。
ひとまずSNSをほぼ辞め、即時性のあるサイトから離れようと思います。
そんな訳で長らくの御愛顧に感謝しつつ、感謝の言葉とさせて貰います。
またはありませんので、何にも期待しないで下さい。
さようなら、これでお終いです。
衣類乾燥機は混雑中です! [コラム・ぼやき]
梅雨なので雨が続くのは当然ですね。
昨日は台風3号で戦々恐々としていましたが、自宅付近では影響がありません。
県内では一部土砂崩れが起きたので、災害の地域の差はあったようです。
こんな日は洗濯物が乾きません。
自宅には衣類乾燥機能の洗濯機があるのですが、数年前から調子が悪いです。
修理するにも少し時間経過したので、修繕できるか怪しい状態です。
近年は自宅の周辺にコインランドリーが増えました。
東日本大震災以降、若年層の結婚出産ブームみたいで洗濯物が増える傾向です。
それに独居人間の増加で、洗濯物の出し入れが面倒なのでしょう。
そんな理由を想像できるくらい、コインランドリーが増えています。
新築のマンション風アパートの共用部に、ランドリーが見られるようになりました。
サービスが良くないと入居者も集まらないのでしょう。
今週は雨模様が続くらしいです。
今日は週末なので、コインランドリーはフル稼働でした。
迷惑を掛けぬよう掛けられぬために、待機する人の数も多く見られました。
これは昔には見られなかった、新たな田舎の生活行動だなと思うのでした。
嫌な時代になった? [コラム・ぼやき]
良く使われる言葉ですね「嫌な時代になった」って言葉。
無意識とか無思考だと口にしてしまう言葉だそうです。
現実には良い悪い時代も無くて、その場その場で好き嫌いを口にしているだけらしい。
この考え方に支配されて悩み迷って悪口を言い続けたのが、中国の思想家と有名な『孝子』らしいです。
理想の君主を探して中国をさすらったそうです。
本来は思想家でも政治家でもなくて、儀式を研究していた役人らしい。
本来の仕事を進めていると、違う場面で才能が開花してしまう事例の一つです。
しかも当人は思想家の活動をしていないから、弟子が書き記した語録が哲学書の『論語』になって残ったのです。
本来は儀式を通じて、中国の歴史をまとめた物が評価されるべきですが、実績よりも思想集の方が人気が出てしまう。
これは皮肉なことでしょう。
思惑通りの人生を歩めないもの。
そう思うのでした。
そろそろブログも閉鎖です [コラム・ぼやき]
インタネットは開かれた善意を元に作られた学術用のネットワークだったそうです。
その技術も汎用性が増すと、悪意と犯罪の巣窟になってしまったようです。
パソコン通信から少し利便性を得て開始したパソコン人生でした。
HPを制作して誰かに見て貰いたいと思った自分の趣味生活が機動力でした。
そこから20年近く経過して思うのは、もう腐ったドブみたいな世界の認識です。
時代を耕す先人を追ってみたけれど、夢は枯れ野に成り果てた気がします。
令和になり改めて価値観を考えると、ブログの役割は自分には無用です。
そもそも趣味が潰えてしまい、発信する意味合いが無いのです。
自分が腐ってしまう前に、もう卒業して良いなと思えました。
もう個人の裁量で運営するには危険過ぎます。
どのような犯罪の手助けや手段に弄ばれるか分りません。
世界と繋がらなくても良いのです。
そんな訳で、ブログの更新も月末までとして、情報収集しアカウントも消しましょう。
今まで少ないながらも読者の皆様、ありがとうございました。
危険性が高いですか? [コラム・ぼやき]
危ないことは危険だと言います。
危ない仕事は専門家に任せなさいと言われて来ました。
ところが専門家も最初は素人です。
経験を踏んで知識を再確認しながら玄人に育って行きます。
素人は自分で行いたい気持ちが捨てられません。
特に幼児や児童は、大人の真似をしたくて仕方ないのです。
先端の尖った工具や文具、調理器具に加熱装置を触りたがります。
彼らは最初の素人なのです。
そして危険は考える程に、危険性を理解できます。
場合によっては思考の足りない勘違いや、思い込みが生じることもあるでしょう。
それを含めて理論と実践であり経験です。
不幸な結果でも、回復可能であれば象徴的な経験になります。
不幸なままで終焉を迎えないことが、重要ですね。
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