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昔の夢が [コラム・ぼやき]


若い頃の夢は、たいてい成就せずに消え去ってしまいます。
現在も夢を抱くものですが、夢は夢です。
『寝言は寝て言え』ではありませんが、戯言の類でしかありません。
 
だから大人になると、若い者が夢を語ると馬鹿にするのでしょう。
経験則に則って考えるに、夢は夢で終わる。
現実界に目を覚まして、夢だなと自覚をするのです。
 
自分の若い頃を思い起こして考えました。
手に入れられた何かは、行動を起こして得た何かでした。
もちろん、行動しても手に入らないものは入りません。
行動した結果、目的外の出来事で、他のモノが手元に残ります。
あとは『経験』と『思い出』でしょうか。
 
 
私は、旅先や用事で出かけた先で、何気ない風景や街並みを撮影したものです。
この何気ない行動が、思いの外効果があるものです。
 
たいていの行動として、自分や他者を写して、背景に目的地が写り込みます。
数年してアルバムを見返すと、思い出が蘇るのです。
十数年すると、何処の写真か思い出せない。
数十年経過すると、一緒に写る人が誰だかわからなかったりします。
中年過ぎると、小学校の入学写真で、同級生も自分もわからない。
 
人物の顔写真は、成人しないと当てにならないのです。
記憶の住人は常に更新されて、過去と現在が混濁して判別できません。
ところが風景写真や、古い街並みは結構覚えています。
記憶の片隅にあって、思い出しもしないのに、見ると思い出せる。
出来事込みで思い出せてしまいます。
思い出したりしないので、記憶の混濁がないのですね。
情報操作が起きていないのです。
 
するとあの頃はコレしたかったなと、夢を思い出せたりします。
自分は『夢追い人』なので、夢ごと旅先に植え込んで写真に残してしまうのです。
見えないパスワードが写真に埋め込まれて、記憶の鍵が開かれて外に出てきます。
他人には見えないだろう、ファンタジーそのものです。
独りファンタジー。
 
 
最近はスマホに写真を取り込んでも、見ないと消してしまうそうですね。
特に女性は、現実主義者なので夢を夢として排除してしまう。
欲は強く語れますが、夢を語れないものです。
特に小さい子を見ると、つぶさに理解できてしまいます。
男の子は、高校生になっても夢を目標として語れるものです。
ある意味、幼稚なのでっしょうね。
現実を直視できません。

 
夢を語れる少女は、涙を伴いながら口惜しさを呪うものです。
幾度か、舞台の最中に控室で聞かされましたから。
夢を語る鍵は、非違日常の最中に隠されているようです。
舞台は、現実と空想の混じる、非日常の世界ですからね。
プロになると、日常の仕事場になって、無味乾燥してしまうものです。
勿体ないです。
 
中年になった自分も、いつしか老人の一歩手前です。
ブログ更新も、十年経過しました。
個人系SNSに活躍の場を奪われて、下火になりつつあります。
 
個人ホームページも消え去って久しいです。
HP内の日記も、ブログに置き換わりました。
商売系のHPは、個人情報特定SNSへと移行しています。
これも自然の流れでしょう。
秘匿性が減少して、特定性が顕著化しています。
 
思い出の写真の情景は、特定性を主張しますが、風化して今は昔となっています。
可視化されるタイムマシーンですね。
スマホの写真は消されて、過去も無に帰するのです。
過去を失えば、今の立ち位置も消えるのにです。
 
個人情報もプライバシーも、今を支える重要な基礎です。
せめて自分がこの世から消え去るまでは、自分の過去を開く鍵にして残すべき。
そう考えるのですが?
如何なものでしょうネ~。
 
 
今も夢を語る、懲りない中年オッサンです。
これがイイのです、自分にとっては。
 
 
 
 


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