キーワード? [コラム・ぼやき]
テレビはすっかり年末年始の番組です。
昼過ぎはサスペンスやお笑い、紀行モノ。
夕方にはアニメなど。
夜はバラエティーやサスペンスですね。
自宅には見ていないDVDや書籍が沢山あります。
でも何となくテレビを見てしまうのでした。
普段はニュースと天気予報しか見ていないのです。
だから余計に一般的な番組編成が気になります。
夕方前は再放送だらけですが、見ていない作品も多いのです。
どうして見たくなってしまうのか?
もう少し深く考えてみました。
このブログに記事書くから、深みを持たせたいなと考えたのです。
思い当ったのは、自分に飽きているでしょうか。
自分の周囲にあるモノは自分好みの品ばかり。
つまり自己に埋没しています。
けれど社会的な媒体では、最大公約数が求められています。
万人受けするモノを考え抜いて選んでいるのでしょう。
この選択のミスマッチが、心の何かを刺激します。
普段から、万人受けに埋没している人には、理解できない感覚でしょう。
自分に特化して取捨選択しているのです。
盆暮れ正月くらいは、他人に翻弄されてもいいのでしょう。
特にテレビ番組を見る見ないは、大した害もないし、外圧も感じません。
普段から見ていると、洗脳される可能性は高いのですが、テレビを見ていません。
真っ新な気分で、正月編成を楽しめる余地があるのでしょう。
不可思議な行動に出て、刺激を得たいのでしょう。
これも恐いもの見たさの一つですね。
特に気になったのが、NHKで放送されたサンダーバードです。
米国流の3Dアニメで、人形劇を再現した作品です。
童心に帰りながら、楽しんでしまいました。
そういえば昔に、似たエピソードを見た様な見ていないような?
もう40年以上昔の作品を、リメイクしたみたいですからね。
夢中になった子供の頃を思い出します。
日本中が同じような番組を見ていたものです。
やがて番組の数が増えて、皆で同じ気分を共有しなくなりました。
国民的な運動選手や、役者、歌手も、世に出ることはあり得ないでしょう。
沢山の人が一方的なモノに注視しなくなったのです。
だから万人受けすのものが、空々しい感覚に受け取られてしまうのです。
スポーツも芸能も、政治も災害も同じです。
百花繚乱、多種多彩な意見や感情が増えました。
だから自分もテレビを気にしなくなったのです。
皆に連れ従い、合わせる必要性が薄まったのです。
協調を、同調圧力に感じてしまうのですからね。
キーワードで連想される事象が、個人的に大きく離れています。
大昔のリメイク作品に、大きく感応するのは中年から上だけですね。
何事に大きく反応して騒がなくて良いのですが、人的資源が活用し難くなっているのも事実。
国の底活力は衰退する原因でもあります。
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