善いも悪いも [お稽古・勉強]
良かれと思い書いた文章も、他人様にはまた違って感じられる。
講評とはそのようなモノなのでしょう。
読み手が多ければ、公表も平均化されるものでしょう。
でも平板なモノになる可能性は高いです。
書き手の個性を何処まで活かし、どこまで平凡化するのか。
尖っていては刺さるし、棘が無くては滑って落ちる。
刺激が無くちゃ強く伝わらないし、刺激が無いと退屈。
どこでバランスを取るのか。
登場人物にどれだけ語らせて、どのくらい黙らせるのか。
どれだけ動かして、どれほど立ち止まらせるのか。
これもバランスですね~。
動き過ぎれば目に邪魔ですし、動かないと置物になる。
人は動かないモノを認識し難いものです。
動きや立ち振る舞いも文字化する。
過不足無く、邪魔でなく、引き立たせる。
文字で何でも表現し、行間に匂わせるようにできるのか?
これは技術ですね。
見識眼がないと判断できません。
経験や凡例も知識として欠かせません。
作った品がどの様に評価され、好まれ疎まれるのか。
作って見ないとわからない。
天使になり微笑むのか、鬼子になって噛み付かれるのか。
生まれて見なけりゃワカラナイ。
創作の二次的苦悩は、結果次第です。
創作の一次苦悩は報われるのか?
結果に拠りますね。
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