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無理難題でしょうか? [雑多なこと]


創作活動に打ち込む身分としては、図書館に行くことが多いですね。
大抵の事はネットで調べられる。
そう若い子が言いますが、正しくて間違いですね。
思い込みだけで、行動から学ぶ経験を積んでいません。

そもそもネット何て、書き手の都合の文章が蓄積されているだけです。
不都合な事は書かないし、面倒なことも書きません。

面倒な事が書かれている場合は、文句やイチャモンを書いているだけです。
読んでいると、信憑性が疑わしい文体に流れて行きます。
それで、信用できそうに無いと思うのです。
それはネットの新聞記事も、同じように感じます。
通信社の記事も、御都合にまみれて配信されています。

ネットに限らず、テレビやラジオ、新聞だって同じです。
ラジオあたりは、最後にネタの配信元を言うのです。
だから、さもありなんとして感じて、話半分くらいに留めたりします。
雑誌も企業広告で生きているので、信憑性は薄い。
テレビも会社の思想で、どうにでも判断が寄って、中立性が無かったりします。
外国のニュースなども参考にして、どの様に伝えているかで、再確認や判断したいですね。


ですから、ネットの記事や文章は参考程度にしか読めません。
図書館の本が優れている面もありますが、これも作家の個性が強いですね。
調べものしたら、数冊は同じ系統の本を見て置かないと、危ない。

自分で見聞きした事でも、当事者と傍観者で意見が対立します。
芥川龍之介の「藪の中」みたいなものです。
何が正しいのかさえわからないもの。

でも、何となく感じ入るものがあります。
情報の山から感じ取る、光というか、輝きみたいなものです。
真実の照らす光が、微かに見えたりします。
それには沢山の記事や文章を見ないと、感で探り中てられません。
人生経験も必要でしょうね。
若い頃は、どうしても好意を抱く側に傾倒して、正しい判断が疎かになります。
権威とか力に魅せられて、好ましい方向を正義にしますから。
何かに必ず傾いていて、それが認識できないのです。
もやしと同じで、柔らかくて曲がってしまうからでしょう。


創作活動は真実を焙り出すよりも、書きたい事を書く方が強いです。
曲がっている、捩じれている程に、面白い文章が書ける。
色物の方が耳目を集めます。

この辺りが、芸術と技能と、職業の入り混じった境界面なのでしょう。
正義よりも悪とか、正邪の入り混じりが面白味を生み出します。
真円よりも楕円の歪みの魅力ですね。



しょせん人間は神では無いので、真理に到達することはできません。
それでいいのです。
だから曲がっていても、捩じれていても、歪んでいてもいい。
自然界には直線も真円も存在しません。
真点もないのです。

だから真実が欲しかったりするんですよね。




 

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