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コーラス仕上り [コラム・ぼやき]


人に残された最後の希望は歌う事だけ。
そう思っている私です。
歌えることは生きる支えである。
そう断言できますね。

仕事も趣味も、歌う支障があれば排除するようになりました。
優先順位が歌く事であるのです。
仕事も趣味も、歌う為に存在しているかのよう。


だからといって、のめり込んで視野が狭くなっている訳でもありません。
時間配分で何とかなるなら、仕事して遅れて練習に行ったりもする。
臨機応変な対応しているけれど、優先するべきは歌、合唱。
歌う喜びは何物にも代えられないのです。


初めてコーラスに参加した時には分らなかった。
今は唯一普遍な感動をくれる行為だと、徐々に知ったのです。
学生時代には全くわからなかった、歌う喜びです。
勉強の一つだったからでしょう。
無理やり押し込めるのが、学業というものです。
抑え付けられ、従わされることを忌み嫌っていたのでしょう。
そんな感情さえ、当時は感じることもできなかった。
得難い感動を味遇わずに過ごした青春と言えそうです。



コーラスや合唱に取り組んで年数が経過したのです。
次第に無くてはならない存在になり、現在に至る。
皆で歌った作品を、ビデオで見聞きすると、良さが改めてわかります。
渦中にいると今一つワカラナイのが、歌声の素晴らしさ。
昔の人は、自分たちの歌声を楽しむ機会が無くて可哀そうです。
現代人はビデオカメラやマイクで、歌声を残せます。
後でそれなりに楽しめる。
観客程は楽しめませんけれどね。
歌声の混合具合がわかりますから。



長期に渡り経験してくると、どんな具合で反響するとか想像できます。
勘違いは残っているけれど、脳内処理で仮想出来具合が予想できる。
時折ですが、倍音が聞こえてくることもある。
「天使が降りる」と例えられる、合唱の倍音。
神の存在を想像出来るのです。
喜びは神の領域にあると言えるし、考えられる。
だから西洋は宗教と歌が一緒になっているのでしょう。
神を信じるに値するのが、歌声の降り注ぐ場である教会なのです。
コーラスを教会や、結婚式場、ホテルのロビーでやりたがる理由がわかるのです。
コーラス隊にも聞こえてくる反響音の歌声。
溜まりません。



この先も機会を消されないように、世間と時折戦いながらも続けたい。
歌の素晴らしさを、定期的に味わいたい。
贅沢な時間を過ごす方法を学んだ私です。
もう普通の音楽イベントに金や時間を浪費したくないです。
感動は自らの手で渦中で得る。
これが一番ですね。






 

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