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偶然の助力? [コラム・ぼやき]

誰かを助けたいとかの気持ちが希薄な男なのです。
「誰かの為<自分の為」でが行動原理になっています。
自分の為に何かすると、他人様に何か助力になればいい。
敢えてそこは狙いませんが、なったなら拾い物。
判断は常に、自己中心で完結しています。



何時からなのかわかりませんが、そうするようにしてきました。
なぜなら、優柔不断の時間浪費を抑えるためです。
「どうしよう」なんて考えると、結論がでません。
出た結論に可否や善悪まで求めて、決断もできない。
物事が何も進行しなくなる。


判断意識を決めてから、だいぶ楽にはなりましたが、今も立ち止まるのです。
自ら動けなくなったり、機会に過ぎ去られたりしている。
判断材料が明確でも、行動は揺れ続けているのです。
基本的な性格は変わらないみたい。



心理学では基本的な性格は変わるそうです。
変わらないと云う説もあります。
小さい子供の頃から較べると、確かに違う様な気もする。
変わらないような気もする。
微妙ですね。


行動に変化が起きて、一見すると違いが有りそうに見える。
けれども本質的な思考や感情は、自我を認識してから変化ない。
そう思える。
社会性の被服を纏ったのと、その厚みの違いでしょう。
核心とかはそのままですね。



最近も、もっと早く行動していれば。
そう後悔することが多い。
振返らないようにしても、気になることは打ち消せない。
打ち消してはならないのです。
存在を認めてやらねば、更に苦しむから。
自己否定しない、そのまま受け止める。


今年流行した外国アニメの挿入歌みたい。
ありのまま。
これがどれだけ難しいことなのか。
安易に歌詞にして貰いたくないと感じる。

蒸し暑さに憂いは高まるばかり。





 


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