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再検証と考証 [本・執筆]

休日に日がな一日、書物なんぞ読んでいて感じた事です。

普遍的なモノを扱うと、再作品化できます。
1. 永遠に答えの出ない問いには、幾多の答えが提示できる。
2. もう一つ、隙間のある作品は、新しく構築する気概が湧き上がる。
3. 更に、定番の簡素な作品は、読者の読み方で答えが変わる。

だいたい3つに分けられる作品類は、読者の改築が可能。
二次作品とは、これらの条件があって可能です。

それ以外は、無理やりパロディー化するか、あり得ない改変になる。
二次作品では無くて、得体の知れない駄作にしか成らない。
需要側の歪な感情による、捌け口にしかならないみたい。
できそこないを、自分で楽しむだけの、不満の捌け口になる。
慰み物ですね。


自分で創作活動している身としては、作品の行く末が恐い気がします。
世に作品を問うて、無視されるのも嫌ですが、改造されまくるのも嫌です。
商業ベースに乗せるのも、素人作品会で消費されても同じです。
行く先は受け手の意識次第です。
色んな解釈されえ、好きなように取り扱われるのです。
思い描く力があるから、創作活動する訳で、作品は想像力の賜物です。
ある意味、自分自身でもあります。
そんな共通意識を、今日自覚しました。

タイトルにある事柄は、評価や扱いに関すること。
作品を世に出せば避けられない。
人気が出れば、何度も検証に晒される。
作品とともに、作者も評価の対象です。

演劇やって、人目に自分を曝け出している癖に、文字作品や絵画作品は怖いです。
歌だって、記録されると考えると凄く恐い。
情報として世に残るからですね。
その場限りが、最善なんだと考え至るのでした。


何事も時間と流れて消え去るものが尊いようです。



 


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