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言葉であれば [本・執筆]

言葉でなければいい。
今日気付いたことの一つ。
どうして携帯電話の話が勘に触るのか。



小学校低学年の子供らが騒ぐとうるさい。
けれどどうして喧嘩になったのか状況がおきるまで判らない。
それがこの謎を解いてくれました。
何を話しているか判別できないからです。


言葉として機能しはじめた言葉が小学生低学年。
泣き叫んで喧嘩すると更にわからない。
言葉として機能していないから。


電話の会話は違います。
片側の言葉が明瞭なのです。
密やかな音量でも明瞭なのです。
ところがこれも会話で無い。
何が話し合われているのか大抵わからない。
言葉として相互の確認はできても、知らない人には伝わらない。
言葉の機能はあるが、能率的でないし文法も適当。
思考の流れや気持ちが見えない。
だからイライラする。
会話未満、不完全ですから。




脚本や小説の会話は、片方でも理解できる。
それは聞かなくても前後の推測が可能なのです。
洗練された言葉で文字が組まれている。
考え抜いた末の言葉。
機能しています。



この事例にあてはめると、音楽としてロックがBGMで使える。
基本的に何か言っているが伝わらない。
言葉として不完全なのです。
童謡が宣伝として機能している。
魚売り場やパン売り場の歌は耳に届き洗脳する。
だから20世紀の歴史人は弁論に長け、リズムがある。
心に、耳に届くのです。



ナルホドね。
自分で理解できて納得した。
そのように文体を組んで創作するのです。
読者に届く言葉であるならば。


ひとつ確信を得て気持ち良い私です。
ブラボー!



 

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